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あえてつまらない文章を書く仕事




僕が働いている出版社は業界誌を作っている。機械の専門誌だ。僕は入社前、機械について何も知らなかった。別に好きだったわけでもない。レコードプレーヤーとかスピーカーとか、自分の趣味に合うような機械なら好きだが、僕の雑誌に載る機械は工場にあるような機械だ。働き始めて1年9ヶ月になるが、今でも機械のことは好きじゃない。

導入事例というものが僕の会社にはある。このプリンターを買ったおかげでこんなに仕事が楽になりました!という記事、まぁ広告みたいなものだ。出版社はメーカーからお金をもらい、僕達記者がその機械を褒めまくる記事を書く。

こういう記事では、面白い文章を書こうとしてはいけない。ハッとさせるような比喩とか、あえて句読点を使わない長めの一文とか、英語でキザに言い換えてみたりとか、そういうのをやってはいけない。メーカーはそんなの求めていない。そんなのもので喜ぶのは作家志望だけだ。

僕はこの仕事を任された時、苦手だなぁと思った。僕は面白い文章が書きたくて記者をやっているのだ。それに、記事も面白い方が(例えば詩人の一節を引用してみたりとか)、かえってコアな読者に刺さって、買ってやろうという気になってくれると信じている。

まぁ、仕事だからやるしかない。文章の訓練だと思って書き始めた。すると、意外とこれが面白い。僕は1文が長くなる傾向にあるので、それを「。」で2つか3つに区切るように意識した。文が長いとハマれば一気に読んでくれるが、短いなら短いなりにリズムが出る。わざと面白くない記事にするよう意識することで、新しい手法に巡り逢えた。それに面白くしなくて良いというのは、僕にとっては逆に楽なのかもな、とも思った。いつも面白くないと思った文は消してしまう。こんなんじゃ普通だ、僕才能ありませんって言ってるようなもんだ、と思ってしまうのだ。

2ページの記事を丸2日かけて書いた。写真や見出しもつけて初稿を編集長に見せた。すると編集長はかなり褒めてくれた。100点の記事だと。僕としてはあまり自信がなかったので、なんだか拍子抜けしてしまった。これは面白い!と思って書いた記事もこれほど褒められたことはない。どころか、いつも何かしら修正される。ところが今回は修正が0だった。わけがわからなくなった。悪いと思った記事が良くて、良いと思った記事が悪いとなると、すがりつく軸がない。生まれもった堅実で臆病な性格が根底にあるのだろか……

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