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都会の若者

先週の土日、四国で一人暮らしをしている父に会いにいった。

父は繊維関係の商社で働く54歳。2年前母に離婚を宣言された。四国に住んでいるのは離婚とは関係なく、転勤を命じられたから。東京よりもよっぽどいい、と父。

離婚の話を聞いた時はびっくりしたが、それを機に僕は父と仲良くなり始めた。父親というより、50代で独り身になった悲しい男にしか見えなくなった。むしろ父親を親身に感じるようになった。

父は半年に6度、関西の実家に経費で帰省できる。そのフリーパスが余っていたので、僕がそれを利用して四国に行けることになった。僕は小学校時代を四国で過ごしたので、故郷に帰るような気分だった。

父は車で、昔僕が住んでいた家や通っていた小学校、野球場のある公園などに連れていってくれた。当時から15年が経っていた。小学校の校舎、公園の遊具、また町全体の幅、全てが小さく見えた。15年という年月は非現実的に感じられた。色々考えることはあるが、ひとことで言うと「笑い事じゃない」。

僕はいつかこの愛媛県の小さな町に行って、昔のことを思い出しながらぶらぶらするのを夢見ていた。故郷を訪ねる楽しさは、年を取った者の特権だと思っていた。でも実際に故郷を訪ねてみると、なんて退屈な町だろうと思った。若者がいないから活気がない。遊ぶ場所がない。建物は全部築30年以上。背後にある1600メートルの山脈のせいで町は閉鎖的。ただ死がくるのを待つだけの町。来週も再来週もすることがない。僕は関西に引っ越してきてからの15年間で、完全なシティ・ボーイになってしまっていた。都会にスポイルされていたのだ。

父は運転しながら言った。「若者がこの町に住むのは無理だ」。確かにそうだ。でも若くなくても相当きついぞ、と思った。父はここであと5年は働くだろう。本当に何もない町。父は別れ際、「ああ、明日から仕事か」とため息をついて言った。そのため息は結構堪えた。父はもう生きる目的を見失っている。こうやって息子が遠くから訪ねてくるのを、20歳のカップルがディズニーランドに行くくらいに楽しみにしていたのだ。


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