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新宿ジャズバー「DUG」

2021年12月初旬。僕は新宿にあるジャズバー「DUG」に行った。

人生初のジャズバー。もっとも僕は酒が弱いのでただのバーにさえ一回しか行ったことがなかった。居酒屋にだってろくに行ったことがない。

一番の目的は「ジャズバーがどんな場所なのか見る」ことだった。小説に登場するジャズバーはその通りなのか、それを確かめたかったのだ。

「DUG」は地下にあり、一階のイタリアンレストラン前にある立て看板を見て気付く。ここか、と。階段を降りるとムッとした煙草の匂いがする。煙草を吸わない僕からするとかなり強烈な匂いだった。

奥の四人がけテーブルに座ったのだが、これがスピーカーのすぐ近くの席だった。スピーカーからは大音量のジャズが流れていた。こんなに耳元にスピーカーを当てて音楽を聴いたことはないな、と思った。曲はウェス・モンゴメリ「フルハウス」の中のどれかだった。タイトルまでは出てこない。それはとっても嬉しかった。アップルミュージック以外でモンゴメリを耳にしたことなどなかったのだから。僕はこの数年でジャズを結構聴くようになったんだな、と勝手に思うことができた。友達と行ったのだが、友達はジャズを聴かないので「これモンゴメリのあれだよね」という会話にはならなかった。最初はスピーカーちょっとうるさいな、と思っていたが、10分もたつと慣れていた。

メニューを見てびっくりした。ほとんどの酒が1000円以上で、知っている酒が半分もなかったからだ。ただメニューを見るとハードボイルド小説で見るような酒類がちょこちょこあるので、それは嬉しかった。一杯でノックダウンの僕は、よくこんなものを何杯も飲んでフィリップ・マーロウはまともに会話できるなと思った。そしてハードボイルド作家はみんな酒好きなんだろうな、とも思った。こういうことを感じるのもジャズバーに来たい理由の一つだった。

結局僕はピニャ・コラーダを頼んだ。友達はマタドールを頼んだ。「日はまた昇る」で何度も見たマタドール(闘牛士)。

通しでのり塩のクラッカーが来た。おお、こんな粋なものが来るんだ、と思った。硬くて塩気が効いて、後味がすっきりのクラッカー。多分家にあったらいつまでも食べているだろう。鳥貴族や白木屋ではまず焼き鳥やらチキン南蛮やらチャンジャやらを頼むが、僕は酒を飲むと腹が膨れて気持ち悪くなるのでクラッカーくらいがちょうどいい気がする。

ピニャコラーダ到着。カフェオレみたいな濁り気味の色で、氷がジャラジャラして、花びらが水面に浮いていた。一口飲む。思わず顔をしかめる。明らかに人生で出会ってこなかった味だった。ココナッツの甘ったるい感じとラムのアルコール臭。ラムもウォッカもジンも違いが分からないので、僕としてはよくあるアルコールという感覚だった。だいぶ薄めてある感じはあったが、半分ほど飲んだところで顔が真っ赤になった。マタドールを飲ませてもらったが、こっちはもっときつかった。テキーラを初めて飲んだが、これも結局ハイボールとの違いすら分からなかった。粗挽きソーセージも注文した。これはすごい美味かった。が、ちょうどもっと欲しいくらいの量で提供されるのだ。

客層はバラバラだった。その日のメインは年寄りだった気がする。多分常連なんだろう。横に座ったのは大学生の軽音部みたいな集団だった。その前にそこにいたのはアラサーかアラフォーの男女二人組だった。男の方は心配になるくらい顔が赤くて、自慢話ばっかりしてそうな感じだった。あくまで、感じだった。

半分以上はぼーっとしてたので当時と今では若干のズレがありそうだが、総じて新鮮でまた行きたい、近くにあれば月に一度は通いたいと思える店だった。小説で見た景色とはそれほど違わないんだろうな、というのが率直な感想。ジャズが聴こえて、煙草の湿った匂いが充満してて、どことなく非現実的な感じがする。お金がもう少し安ければ嬉しいのだが、それくらい払ってでもジャズを聴きながらおしゃべりしたいというのが大半の客の考えなのだろう。

レジ横に置いてあったジャズミュージシャンのポストカード(一枚100円)を買って帰った。スタンゲッツの横顔写真。今は勉強机に貼っている。

地上に出ると空気の澄んだ冷気がとにかく心地よかった。今思い出しただけでもすっきりするくらい快適な冬の夜だった。すごい場所にいたもんだ、と改めて思った。なんというか、今思えば記憶に残る観光地みたいな店だった。こういう店はそう何度も出会えるわけじゃない気がする。多分僕にとって最初のジャズバーだったのが大きいんだと思う。スタンゲッツのポストカードを見るたびに、そういやあの時あそこで買ったんだな、と嬉しくなる。

1920文字  47分

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