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就活鬱から脱出したとき

就活という名の戦いが始まったのは1月下旬……いや準備期間を含めたらもっと前だ。10月頃に本気で今の志望業界を目指し始めたから、就活を初めて約半年がたった今。

やっと部屋の掃除をした

「え?今までしてなかったんですか?」と驚かれるかもしれないが残念ながら全くしてない。気力がなかったのだ。
昨日までの私の部屋には、約半年分の埃と、半年分の新聞、ESに追われて洗う余裕もなかった数か月分のペットボトルごみ達があった。綺麗になった部屋を見ると、よくこんな部屋で半年も生きていけたなと我ながら苦笑してしまう。それだけ就活に追われていたのだろう。

10月下旬から今まで、私の心には常に焦燥感があった。倍率200倍の志望業界。都会にいるであろう、想像を絶する優秀な人たち。自分の未熟さ、自分のクソさ。優秀な人に比べて、自分の結果のなさ。持ち駒の少なさ……。

もちろん10月までサボる日も何日かあった。就活をしない日もあった。でも心の中には常に「就活しなきゃ」「勝ち抜かなきゃ」「落ちれば死ぬ」「こんな自分じゃダメ」「殺してほしい」といった、ひたすら追い込まれた余裕のなさがあった。



そして先日、第一志望にお祈りをもらった。そこで何かがぷつんと切れた。それこからの私の生活は、人生一のぐちゃぐちゃさだった。無気力でお風呂も、ご飯も食べられず、外にも出る気力がない。いわゆる就活によるプチ鬱だった。

外に出たくない。何もしたくない。ずっとベッドで死んでいたい。
けれどお腹はすくので、私は家にあったお菓子、余った食パンで四日間を過ごた。
お風呂にも入る気力がわかず、四日ほど入れなかった。
正直今まで体調不良や鬱でお風呂に入れなかったこともあったが、四日間は最長記録だ。ここ数日なにをしていたか一切覚えていない。ただ、「どうして私が一次で落ちたの……?」「こんなカスな私を殺して殺して」「消えたい」ということだけひたすら考えていた気がする。それ以外の記憶は、ない。


そして、今日。やっと、やっっっと、気力がわいた。
考え方を変えたのだ。

第一志望に落ちた理由を自分が思う評価通りに、素直に、考えることにしたのだ。

今まで、私は
「(私はまあまあできていたと思ったど、)人から見たらクソみたいな面接をしていたから落ちたんだ。私が無個性で、何もなくて、笑顔も結論ファーストもできてなくて、何もかもダメなクズだから落ちたんだ。まあまあできたと思った自分が恥ずかしい。自意識過剰だった。御社に無駄な時間を使わせたんだ。こんなんじゃ出版は当たり前に全落ちだし、他業界もダメだ。そんな自分はいらない。消えたい」
と思っていた。

自分では、「そこそこはできた」と思っていたはずなのに、その評価を否定してまで、自分を追い詰めていたのはなぜだろう。
おそらくその理由は、自分の元からのネガティブさと、某マスコミ講座で散々な目にあったからと、就活アドバイザーの【一次に落ちる人の特徴一覧~これに当てはまらなければ絶対受かります~】を見たからと、両親にさんっざん「ドーナツちゃんは出版社に行けるほどの才能はないと思うんだけど」と人格否定されたからだろう。(人のせいにするのもどうかと思うけど、上記の物はどれも許せないのであえて書きます)

けど変えた。もっと、私が面接で感じたとおりの素直な評価を信じることにしたのだ(そう変えるきっかけも、就活支援垢のおかげだったので、就活アドベェーザーもピンキリだ)。

面接、前回のnoteではさんざん自分を卑下していたが、実はそこまで悪い面接ではなかったのだ。いや祈られたけどね?祈られたけど、自分を卑下せずに評価を下せば「後悔は残るしよくはないけど、悪くもない面接だった」が正直な感想だった。

その感想を、素直に肯定することにしたのだ。

私の第一志望は、採用人数は若干名。だいたい3~5人だ。他社の応募数を見る限り、おそらく御社の書類選考に応募するのは1000人程度。とすると、一次面接に残っているのはせいぜい160人ほどだろう。
そこから、二次、最終へ3~5人に絞るには、一次面接で30~40人まで絞る必要がある。となると、一つの面接ルームで40~50人受けるとしても、通過するのは、1つのルームにつき上位10人程度だろう。

私が出会った、あの優しい面接官。多分、あの褒めは、接待ではないはずだ。感覚的に。多分、本心から褒めてくれたのだろう。

でも、私の面接はその面接官が見たであろう、40~50人中、10位に入るものではなかった。せいぜい、13~14位。低くても15~20位くらいだろう。平均以上の面接はできた。すごいよ私。でも、平均以上では通らないのだ。高倍率だから。6割くらいここで落とさなきゃ絞れないから。だから、私は落ちたのだ。

決してクソな面接をしたから落ちたのではない。上位に入れるほどの面接ができなかったから落ちたのだ。


数日前まで、「自分が『こう』答えればよかった、と思う所を直したからって通る気がしない。自分の根本がダメな気がする」と嘆いた。しかし、今ならわかる。もう少し、あと数か月成長した私なら戦える。今の私じゃ確かに13~20位だ。

でもあと数か月後の私なら絶対に戦える。

成長した私なら、来年絶対に通過する。



そう考えるようになってから、無気力状態が治った。ベッドから起き上がり、半年分の部屋の掃除と、布団の洗濯、そしてご飯を買いに外に出ることができ、お風呂に入ることができた。プチ鬱状態から脱出したのだ。

「自信を持つことは悪いこと」
「高倍率なのに、自分が受かると信じることは悪いこと」
多分、就活中の私はどこかでそう思っていた。だからこそ、『自分がクソだから落ちた』と考えていたし、自分を必要以上に蔑み、それが妥当な評価だと考えていた。


高校生の時、私の周りは自分を卑下することが当たり前で、出る杭は打たれたし、自分を卑下して自虐しなければ、自意識過剰だといわれ、最悪いじめられた。

でも、もう私は高校生じゃない。もうそんな、狭いコミュニティに私はいない。就活で抜け出すの。内定して、企業の業績を上げるためにバリバリ働くの。足の引っ張り合いなんてする会社なんか、つぶれるだけだから抜けちゃうの。転職するの。もう人の顔色を窺って、人の出来に合わせる必要はない。自分を卑下する必要はない。「自信がある」と言って笑う人はいない。もう気にしなくていい。素直な評価をしていい。


就活で、私は学生時代の呪縛から放たれるのだ。

自分を追い込まず、思うまま素直に、マイペースに結果と向き合いながら、私はまた挑戦する。


おやすみ。


p.s.
ちなみにnoteに書いたことそのまま、「こう思えるようになったんだよ」と母に報告すると「でもドーナツちゃんは出版社に内定できるほど、個性も経験も才能もないじゃない。だからここで落ちるのは当たり前よ。」といわれた。
「でも来年は受かる自信がある」と私がいうと、「は(笑)倍率200倍を来年は受かると思っているの~?(笑)」と馬鹿にしたように言われた。母のことは好きだけど、私が自分を卑下する癖があるのは母のせいだよなと改めて思いましたマル