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いせやの焼鳥カシラ

子供の頃、よく「いせや」へ通った。幼い頃のわずかな記憶に、ベビーカーから見た、「いせや本店」の景色がある。といっても、幼児の記憶は曖昧だから、家族が撮った写真から連想して生み出した記憶かもしれない。でも、それくらい「いせや」には思い出がある。

循環器の病気を持って生まれた私は、生後すぐ大きな手術を数度受けたらしい。でも、私はその頃の記憶はない。無事に大酒を飲むほどに育ったが、幼少期は食事に気を使われていたようだ。

そんな私の楽しみは、家から歩いて行ける井の頭公園に行くことだった。公園のボート、水面に浮かぶ鴨、ゾウのいる動物園。どれも好きだったが、私が最も楽しみだったのは、公園の横にある「いせや」で過ごす時間だった。

「いせや」が好きだったし、今も私にとって単なる酒場ではなく、思い出の場所だ。本店、公園店ともに建て替えられてしまったが、同じ場所で焼鳥を食べると子供の頃の記憶が鮮やかに蘇ってくる。

酒と文学が好きで、酒の席の縁で結婚したような両親も、私が持病を持って生まれたことで、しばらく酒場へはいかなかったようだ。私が無事、日赤を退院し、保育園へ通えるようになると、少しずつ酒場へ行くようになった。両親にとって、「いせや」は酒場のリハビリだったのかもしれない。もちろん私を連れて。酒場へ子供を連れて行くのはけしからんと言う人もいるが、私は、「店による」と思う。

「いせや」へは、私が行きたがっていたようだ。元来、のんびり屋で忙しない場所が苦手な私は、保育園友達と荻窪駅のマクドナルドにいっても、時間をかけてシェイクを飲んでいた。友達たちはさっさと食べ終わり、おままごとに夢中だけど、私は、まだゆっくりとシェイクが飲みたい。母はマクドナルドが好きだったが、私はファーストフード店はあまり行きたがらなかった。そうして、外食は「いせや」が増えた。

実は、今まで隠していたが、私は大人になるまで、「カシラ」は焼鳥だと思いこんでいた。ずいぶん大きな肉だけど、鶏のどこからとれるのか。トサカにはこんなに脂がのるのかと思っていた。いま思えば変な話だが、寝ても覚めても酒場のことばかり考えている今の私と違って、子供時代は肉の部位に特段興味はなかった。

いせやの「カシラ」と「つくね」と、あとなにか、そう、シュウマイ。両親は赤星を飲み、私はオレンジジュースを飲んだ。古びたいせやの畳みは、茶色くなって端が毛羽立っていた。そこをむしろうとして怒らた記憶とともに、とりのカシラが美味しいとイイながら、不器用に食べていた様子が色鮮やかに思い出される。

はじめての酒場はきっと「いせや」だったのだと思う。大きな店で、大勢が笑いながら同じような串を食べている。両親もご機嫌だし、私も楽しかった。酒場は特別な場所なのだと思った。

私にとって、いせやのカシラはいまでもとり肉です。

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