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現状に至るまで(雑記)

さあ出かけよう。

着替えて、化粧して、髪の毛を整えて。
そうして、すべての準備が整ってから、マスクをつける。

真っ白い布のマスク。

それをつけるのは、いつから私の中で「普通」になったのだろう。

これが「普通」になったその日から、間違いなく、私の中で新型コロナという病気が他人事では無くなったのだ。


病が流行し、緊急事態宣言という稀有な出来事を体験し、明けて2ヶ月程経つ今にして、何故この事を書こうと思ったか。

それは、病に関して体験した事柄をやはり書き留めておこうと思ったからだ。

しかし、書くには気が向かなかった。
特に、noteで書く気が起きなかった。

というのも、snsを開けば、やはり不安を煽るような字面が踊り、否応なく気分が落ち込むからだった。

日本政府は、
日本人は、
海外は、

真実か嘘か、不明なまま、しかし怒りと恐れの感情だけは溢れかえり、そしてもれなく不安だけを置いていくsnsにうんざりした。

私は、私自身の心は湖面のようだと認識していて、少しの風で波立ってしまうのを知っている。

なので、尖りすぎている情報源は、私には刺激的過ぎた。

目を瞑って、深い眠りに落ちているときに、
湖面の底に沈み込ませた、過去の記憶という塵や芥がふいに浮かんできて、何とも言えない嫌な気持ちになる。

憎い、嫌い、怒りが表面に浮かび上がって目を覚ます。

どうしようもない事だ、と宥めて飲み込めば、口の中に苦い残滓だけが残る。

そんな風に、毎日毎朝、夜もあけきらない内に目をさますのも不毛なので、いっその事すべて遮断してしまえ、と見るのをやめていた。


***


ここまで、私が被害を受けているように書いたけれど、そんな事はなくて。

攻撃的な、悲観的な声が溢れたのは、みんながこの病を「自分の事」だと捉えたからなんだろうな、とぼんやり考えていた。

みんなが被害者で、それ故に恐れ、ままならない状況に怒りをぶつけ合っている。
誰かの怒りに、誰かが共感して、そしてまた誰かが広める。
当の誰かは、とっくに怒っていないかもしれないのに、「怒り」の感情だけが、ここには残っている。

マスクが無い。
トイレットペーパーが無い。
石鹸が無い。

今まで当たり前のように商品がびっちりと詰まった棚が、ぽっかりと空っぽになるのを見れば、コロナという目の見えない存在が、はっきりと身近にあるのだと、背筋が凍る。

遥か対岸で起こっていたはずの火事が、気がついたらこんな形で足元まで迫っていた。


そんな状況、恐怖以外何物でもない。
私一人だったら、多分とてもじゃないけど抱えきれなかった。

それでも、冷静でいられたのは(冷静でいるようで鬱々としていたが)、「家族」というものを私が持ち得ていたからだった。

「コロナ」なんて言葉をちゃんと理解していない3歳児は、毎日私と夫がいる生活を満喫していたし、

夫は夫で、外出を厳しく制限はしたものの、代わりに3歳児の相手をせっせとしていたし、給料も減額されることなく支払われ続けていた。

外の恐怖とは一線を画した「日常」が家にあることが、「コロナ」という存在を普通に、自分の事として捉えられる原動力になっていて、
マスクを付けて外出しよう、とか、混雑を避ける、とか、帰省はしない、といった行動に繋がっている。


私にとっては、これが「普通」になりつつある。
しかし、一方で、コロナを「自分事」として捉えられない人がいるのもまた事実だ。

その人たちが広めている!と言いたいわけではない。
私はたまたま、「コロナ前」と「コロナ後」で日常が変わらなかった側だったから。

けれど、日常が、マスク1つでガラリと変わってしまったら。
「自分事」として受け入れれなかったはずだ。

この病気は、どこか遠い世界の産物で、自分には関わり合いのない事だって思って、そうじゃないと生きていけなかっただろうし、真実か偽物か不明だが、耳障りだけがいい言葉や、ぶつけやすい怒りの矛先に、ただひたすら喚き散らしていたと思う。

それが悪い、とかではなく。
ただ、そういう未来も有りえて、その未来には辿り着かなかった、というだけの話なのだが。


***


さて、残念ながらまだこの病気は終わっていない。
いつ終わるかも分からない。

けれど、再び私がぽつぽつとNoteに向き合おうと思ったのは、日常として取り入れられたからだし、
この「コロナ」という病気に対するさまざまな解釈や行動を「多様性のひとつ」と受け入れられるようになったからだ。

こんな状況になるのは、今後は勘弁願いたいものだが、特殊な状況での心境の変化を書き記しておくのもまた貴重なことだろう。


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