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「次の子が欲しい」そう思い続けながらも諦める理由を探している

私の家にはサイズアウトした子供服を入れる大きな段ボール箱がある。
Lサイズのオムツのパックが3つ入る大きさ、と言えばどれほどのサイズか分かるだろうか。
次の子ができたときの為に、とその箱に入れてきたのだが、近ごろそれが満杯になりつつある。

そうなるにつれ、私はある言葉を投げかけられることが多くなった。



「次の子の予定は?」

「次の子の予定は?」
その質問が、私より年上―例えば、近所のおばちゃんや、祖母、母親といった上の世代だったら、大して気にもしなかったと思う。
しかし、私にその言葉を投げかけるのは、同じ時期に子供を産み、会えば気軽に挨拶をするママ友と括られる人たちだった。
そして、彼女たちは既に子供が2人以上いるか、お腹に次の子を妊娠しているのだった。

彼女たちは言う。

私は妊娠したけど、あなたはまだなの?
次の子はいつ予定しているの?

世間話だ。
最近寒くなったね、とかそのぐらいのレベルの話。
悪意は露ほどもなく、羽のように軽い言葉達。しかし、鋼のように重く、深く突き刺さる。
私はそれに対し、なんとか笑顔を取り繕い「うちはまだ先でもいいかな」と言うのが精いっぱい。



私だって、次の子が欲しい

私自身兄弟が多い家庭で育ったので、兄弟のありがたさは身に沁みている。

けれども次の子を真剣に話し合ってこなかったのは、夫が次の子に対して快い返事をしないことが分かっていたからだ。

私たち夫婦は子供を持つ予定は無かった。
だが、幾つかの偶然を経て幸運にも子供を得ることができた。
その幸運に手放しで喜び、浮かれて、もう1人ぐらい生みたいな、なんて軽い気持ちで子供服を段ボールに入れ続けた。
次の子なんて、遠い未来の話ぐらいの考えだったのだ。
けれど、もうそろそろ真剣に考えなければ。あの段ボールの処遇を決めなければ。段ボールを増やすのか、捨てるのか。
伸ばし伸ばしにしていた話を、ある日ついに夫に切り出した。

「今は収入的に厳しい」

夫はやはり快い返事をしなかった。
分かっていてもがっがりする。しかし諦めが悪い私は、『今は』という言葉に縋り付いた。

「じゃあ、どのぐらいの年収があれば子供2人持てるの?」
「うーん・・・このぐらいの年収があれば・・・」

それは30代の平均所得より遥かに上の金額だ。
その金額に満たずに子供を2人以上持っている人は沢山いるだろう。
けれど、子供に不自由ない家庭環境を提供したい夫の気持ちも分かる。だから、欲しい私の気持ちを優先して、夫の言葉を容易に鼻で笑い飛ばすことはできなかった。

「・・・・その年収、どのぐらいで届きそうなの?」
「うーん。多分10年後」

10年後。
途方もなく遠い未来。その未来になった頃、私はもう40半ばになっている。
私は、その時子供が産めるだろうか。



働こう

私は今専業主婦。
働けば時間的な余裕は無くなるが、収入的には安定する。それほど稼げるわけではないが、それを未来の子供の為に回せば、10年なんて時をかけなくても済むんじゃないだろうか。

しかし、私はどれほど保育園問題が深刻であるか、理解していなかったのだ。この時はまだ。

役所では、認可、認証問わず今働いている人でも保育園に受かるか受からないか分からない状況で、専業主婦が保育園に預けるのは大変厳しい状況だと知らされた。
じゃあ、保育所のある仕事場は?
都内屈指の満員率を誇るあの電車に子供を連れて通勤するのか。想像するだけで気が遠くなる。

じゃあ、幼稚園はどうだろうか。
この近辺の私立幼稚園を調べると、どこも親の出番が多く、働いているのならウチでは受け入れられない、と返事が返ってきた。

(働けない・・・)

保育園に受からなければ、仕事は諦めるしかない。
しかし、仕事があっても受かる可能性が低い。
双方の両親は新幹線に乗って会うぐらい遠いので預けられない。

大した資格もなく、働いてない女が、もう一人子供を持ちたいと夢見るのは、とてつもない身の程知らずな贅沢なのだ…。



諦める理由探し

「なんとかなるよ。お金だってすぐに必要になるわけじゃないし」

そんな気休めの言葉に対し素直に喜べない。

収入が上がらなかったら?
私が働けなかったら?

慰める言葉に頷きつつも、心中ではぐるぐるとそんな反論が巡る。
そして、ある日はたと気づいた。

(あ。私、もう諦める理由を探してる)

子供が欲しくて調べ始めた事なのに、次々と来る問題に尻込みして、ダメな理由に縋り付こうとしてる。
だって、現状維持は楽だもの。何もしなくていい。
ただただ、流されるように日々を重ねて行けばいいのだから。

じゃあ、もうこの小さくなった子供の服。捨ててしまおう。
使う予定のない貯めこんだ服なんて、ゴミ以外の何物でもないじゃない。

着せるとお腹が常にチラ見してしまう服を手に取る。
他人にあげたら未練が残る。ならばいっそ、ゴミ箱に。
ああ。でも、この服は。
まだこんなに綺麗で、汚れもほつれも目立たない。
それに、あの子があんなに気に入ってた。

何秒迷っただろう。多分、そんなに長い時間じゃない。
私は乱雑に握りしめた服を再び広げ、丁寧に、できるだけ小さく畳んで段ボールにしまい込んだ。



「うちはまだ先でもいいかな」

どんなに探しても、私は諦められないのだ。

自分の子供が赤ちゃんと楽しそうに遊んでいる姿を見た時。年上の子に可愛がられた時。

ああ。兄弟がいれば、こんな風なのかな。こんな顔で笑うのか。

無論、1人っ子だって幸せな子は沢山いる。

ただ私が、諦められない夢を見ているだけ。
私1人が、見ているだけ。


「次の子の予定は?」

そう問われれば、私は「うちはまだ先でもいいかな」と微笑む。
そんな日は、永遠に来ないかもしれないのに。

段ボール箱に、不安と諦めきれない夢を詰めて蓋をする。
重くて暗いそれを、未だにどうするか、私は決められないでいる。

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