声色 #同じテーマで小説を書こう


日が沈む。
次第に灯りゆく外灯。
オレンジ色に染まる雲の向こう側が見たくて、タバコに火をつける。

「君の声は、向日葵みたいに黄色いよ」

ふいに、耳元で女の子が小さく囁く。

そうだ。あの日もこんな夕焼けだ。
俺も、彼女も、何もかもオレンジ色に染まっていた。


その子はピアノが上手な子だった。
放課後の音楽室に響く、柔らかく繊細で豊かに奏でられる音が聴きたくて、よくそこを訪れた。

彼女はいつも1人。
教室では黙りこくり、誰とも話そうとしないのに、
音楽室では毎日ピアノを雄弁に弾いているのを、俺はずっと秘密にしていた。

俺も彼女も、1人の時間が欲しかったから。

当時、俺は周りが全員声変わりしたにも関わらず、未だその兆候が訪れないのを気に病んでいた。

まだ子供なんだと、みんな俺を置いて行ってしまったんだと、話すたびに突きつけられるのが辛かった。
今思えば、それこそが子供である証で笑ってしまう。

とにかく、不安、劣等感、それら全てを忘れられるのが、彼女の弾くピアノの隣だった。


彼女とは色んな話をした。
ピアノは幼い頃から習っていること。
コンクールで上位を狙えるほどの腕前のこと。
しかし、ピアノなんてちっとも好きじゃ無いこと。

「じゃあ、なんで毎日弾いてるんだよ」

そう笑って聞けば、どんな時でも鍵盤を叩いていた指が、初めて止まる。
途端に訪れた沈黙に息苦しくなってきた頃、彼女はようやく、低く、唸るように呟いた。

「自分の色を取り返す為よ」




『教室には、いっぱい色があるの。
制服とか、髪の色のことじゃないわ。
声には色があるの。

その色は一人一人違って、教室の中に猛烈な勢いで色が溢れて。
苦しくて、その流れに巻き込まれて溺れてしまう。

私は息ができなくなる。
体が毎日、毎時間、毎秒引き千切られる。
そうして、自分の色を失くしてしまうの。

だけど放課後にピアノを弾いてると、自分の色を取り戻せる。
ようやく、私は元の私になれる。』


そう、ピアノに叩きつけるように吐き出した彼女は、とても辛かったはずだ。

だけど俺は、他人とは違う世界を、否応無く向き合っていて、嫌悪と不安に毎日毎時間毎秒、押し潰さる彼女がどんな思いで過ごしていたか、分からなかった。

自分を取り戻すために好きでも無いピアノに縋っていたとか、そんなの全く思いつかない程にただの中学生で、ガキで。

今は平凡だけど、いつか特別な能力に目覚めて、周りよりすごい大人になるんだって思ってて。

だから、あからさまに他人と違う彼女の言葉にはしゃいだ。
こんな特殊能力を持つ人が近くにいるってことは、自分だって特別なはずだって。期待を膨らまし、目を輝かして無邪気に聞いた。

「なあ、俺の声って何色?」

きっと特別な色だ。
そう、信じ込んで。


***

(向日葵みたいな黄色か)

今は綺麗な色だと思えるのに、
あの時はまだ変わらない声を嘲笑ったと怒りに震え、失望して、それ以来二度と音楽室には行かなかった。

今、彼女が何をしているのか、どうしているかは知らない。
もはや顔も名前も、夕陽に伸びる影法師のように黒く塗りつぶされた。

それなのに今更思い出したのは、いい加減無視できなくなった母からの電話のせいだ。

母の電話はいつもどうでもいい話で始まる。
同じ中学出身の有名ピアニストがいるとか、そいつは音に色が見えるとか、向日葵のような明るく幸せな色を弾くのが目標だ、とか。

散々喋り散らして、最後には必ず『もういい加減、帰ってきたら』とため息混じりで終わる。



子供心のままに、夢は叶うと信じて親の反対を振り切って煌びやかなネオンが光る此処に飛び込んだのは数年前。

夢を見れたのはいつまでだったろう。
自分が、光に寄せ付けられた、ただの羽虫に過ぎなかったと気づいたのは、いつだったろう。

今や夢を掴むはずのこの手は、端金を得る為に酒を作り、それが原因で吐いたモノを掃除するだけに使っている。


ぐしゃり、とタバコを乱暴に潰し、もう一本取り出す。

(もう辞めなければ。金が無い)

こんな事にまで気を使うなんて、あの時の俺は想像していなかった。
同じ音楽室にいたはずの彼女と俺は、今やこんなにも………。

(いや、違う)

ただ、母の話から思い出しただけ。
似てるなって。
それだけのはずなのに。

知りたくない。
知れば、余計に惨めになる。


「君の声は、向日葵みたいに黄色いよ。
とっても明るくて、眩しい色」

そう言ったあの子の声が、ピアノの音と同じくらい優しかったんだと、今の俺にはもう分かる。

(あの子は、声の音域で色を判断してたんじゃ無く、ヒトの本質を声を通して見ていたのかな)

だとしたら。
確かにあの時俺の声は向日葵みたいな黄色だった。

幸せで、世界は自分が中心であると信じて、未来は明るく輝いて、理想通りの大人になれると疑いもしなかった。


タバコを吸い込んだ息を吐き出せば、涙が出るほど綺麗な景色が薄汚れる。



俺の声は今、何色だろう。




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