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ちゃんとしなきゃ、はいいんだけど、やりすぎると自分の首を絞めるよね

人生って自由なことが多くて、お酒をガーって飲んでお風呂入らず、歯も磨かずに寝てしまったって良いんですが、それを毎日のように続けていると「自分ってダメな人間なんじゃないか」と思ってしまうこと、あるじゃないすか。翌朝、シンクに積み上げられた、汚れた食器とか見て、落胆しつつ。

そこで、ダメだわー俺、と思って心機一転、気持ちを切り替えてシャキっとした人生を送るか、「ま、それも含めて俺だからな」と割り切り、引き続きお酒飲んで気持ちよく寝てしまうか、どっちを選ぶかは人それぞれなのだから、そこを強制する権利は他人にはないでしょ。

けど、その、「ちゃんとしなきゃ」精神みたいなものって子どもの頃に培われているような気がしてて。

親としては、子どもに対して、世間一般に言われるような、いわゆる「道」を外れてほしくないと思うから(きっとこれも価値観)、一応ちゃんとした教育をしたいと思うのが普通なのかな、と私は思っていますけど、

たまに、そこで培われた「ちゃんとしなきゃ」精神によって、自分の首が真綿で絞められるようなことがあるんだよな。

人付き合いはちゃんとしなきゃ、子どもには良い経験をたくさん、体型維持、仕事、毎日note、

キリがない。

しょうもない責任

背景には背負う必要のない責任がいるはずだから、まず、身の丈にあった責任を自分で感じ取って、それ以上のものは無視する、くらいの気持ちでいったほうが良いよね。

私はHSPということもあり、感受性が高く、空気を読みすぎてしまうところがあるので、特に仕事でですけど、「他の人があんまやりたがらないから俺が拾っておいたほうが、みんな楽になるよな」と思って引き受けてしまい、それが自分の首を絞めることが多いので、割とちゃんと身の丈にあった責任を意識する必要があるんだろうな、と思う。

共感することは大切だと思うけどさ、一緒に悲しんで自分も死んじゃおうかな、というのはちょっと違うじゃん。俺は俺の人生を歩むべきだし。人と一緒に死ぬことを最上位に置くのだったら、そこまで自分という存在を無にするのだったら、いいんだけど、もっと自分のことを考えたほうが良いよ、と思ったりするよね。

41歳になって改めて気づくけど、優しさって、他人にとっては良いことだけど、自分にも優しくしないと、ダメだよな。


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