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カキナ・グール

だいぶストレスが溜まっている模様で、いったい何にそんなストレスを溜めているんだねきみは、というのを客観的に考えたいので、ちょっと思いつくがままに書き殴ってみたいと思いまして。

多分あれ

まぁ仕事なんですけどね。
はっきり言うと英語で喋るのに不自由を感じているからです。
その辺をぐだぐだ考えながら4ヶ月くらい経ってる気がして、若干ですけど無理しながら喋ってるせいか、少しうまくなっているような気がする。

気がするだけだけどきっと。

英文でのメールとか、英語のチャットはほとんど問題ないんですけどね。それについてはストレスゼロだし、そうそう、ヒアリングについてもインド英語ですけど、そっちも大丈夫な気がするんだよなぁ。

ちょっと待て

これもさ、このテの悩みを考える時に抱き合わせで考えるようにしているんだけど、

ちょっとこの辺からタメ口で書いてくわ。

なにかと言うと、「お前、それ、日本語でもスラスラ言えんの?」問題。

英語でうまく喋れない、っていうのはさ、俺の英語スキルで考えると、多分、ゆっくり整理すればとりあえず伝わる英語は作れるんだよきっと。

てことは、それを考えると、まず日本語ででもいいから何を訴えるべきか、ちゃんと整理していないんじゃないの?ということ。

うん、たぶん、それ合ってると思う。
俺、ちゃんと整理する前に、喋らなきゃ喋らなきゃってなってると思う。

つまり焦ってんだな。
そうだよな、焦ってるに韻を踏むわけじゃないけど今日、英語でがーって説明した後、汗すげーかいてたじゃん。

けどあの汗、きっとお前が一生懸命喋ったことで生まれた汗だからさ、あの時の暑さ、忘れんなよ。

それだけだろうか

ストレスとはちょっと違うのかもしれないんだけど、疲れやすい感じだったんだよなぁ。

気圧のせいという情報があり、たしかに天気は下り坂をゆっくりと降り始めていて、まぁ、警戒しとけよくらいのところではあったんだけど、なんとなく気持ちが沈んだような気がしたんだよなぁ。

鬱って自分で治った宣言するものじゃないんでしょ

鬱病の定義って良く分からないけど、いわゆる希死念慮を抱くようになったらそれ、っていう定義なのであれば俺はそっち側の人に当たるわけで、実際は今ここでこれを書いている時ですら「ここから
いなくなりたい」という気持ちが消えることは多分ないんだろうなと思ってて、

これ何度か書いてるけど心療内科を勝手にすっぽかしたのは「鬱とか言ってるけど根本を断絶しないと治らないでしょ、所詮薬なんて対症療法でしかないんだから、行く意味あんのかい」からの、なんか仕事が忙しくなっちゃって、病院に行く時間がありません、からのすっぽかしだったでしょ。

けどさ、その、根本について断絶どころかまだどっぷり浸かっていて(ここで 書いてる仕事以外にもいくつか思い当たる節があるけどここで書くのはやめておく)まぁ、手放すという気持ちを作るとだいぶ楽になるのかもね、とは思っているけど、

そうやって何かが変わるのを待っていても、実際には自分がマインドを変えるとか、なにかしらの行動を起こさないと変わらないはずで、それを意識して行うことがすぐにでもできないのであれば、それまでに希死念慮が定着して行動に移す前に、薬である程度気持ちを落ち着かせておく、っていう考え方は理にかなっているような気がするんだよなぁ。

気がするだけで実際は違うかもしれないけど。

それにしてもこの辺の話題はいくら書いても終わりが見えなくて、これ系を 考え続けるのが辛いような、楽しいような。

楽しい、というのはないか。頭が疲れるまで考え続けて、疲れて、寝ちゃうのがむしろ健康に近づく道なのかもしれないね。
なわけあるかい。

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