自分が絶対に犯罪者にならない自信が持てるか?

ネットニュースで、
誰々が人を殴って執行猶予何年の有罪判決を受けたとか、
轢き逃げして禁錮何ヵ月とか、
子どもを車に置き去りで気付かず懲役何年とか、
そういうのを目にする。

そして、そういうネットニュースに対するコメントやTwitterでの意見を読んでみると、
「罪が軽すぎる!」
「死刑でいい!」
「こんな奴、極刑にしろ」などという意見が結構ある。

おそらく、被害者の方を想い、そして何より自分が同様の被害に遭う可能性を考えての意見だろう。

しかし、そういう人は、自分が加害者になったときのことは考えないのだろうか。
私は2年ほど前にオートマ限定の免許を取得し、週4くらいのペースで車を運転している。
事故を起こす可能性は、僕にも十分ある。
なんとなくの感覚だが、
交通事故の被害者になって自分や大切な人が命を失うよりも、
自分が事故を起こして他人に被害を与える可能性のほうが高い気がする。
今まで自分が車を運転していて、
危うく他の車にぶつかりそうになったことは何度かあるが、
危うく他の車にぶつけられそうになったことは無い。
だから僕は、交通事故などのニュースでは、加害者に感情移入してしまうことがよくある。

例えば「車で轢き逃げして執行猶予3年」というニュースを見たとすると、
「うわぁ、轢かれた人、遺族、可哀相…」というより先に
「うわぁ、人轢いちゃったうえに裁判沙汰で警察にも問い詰められて大変だなぁ..。」という感想が来る。

このニュースを見て
「遺族のことを想うと涙が出る!刑務所にも入らないで呑気に暮らすなんて!実刑にしろ!死刑にしろ!」などと書き込みをしている人を見たとすると、
「そういう意見が集まって法が改正されたら、自分が事故を起こした時も死刑にされちゃうけど良いの??」と思ってしまう。

私は、

自分が被害者になった時に相手が刑務所に入らず執行猶予になってしまうが
自分が加害者になった時も刑務所に入らず済むか、

自分が被害者になった時に相手が死んで償ってくれるが
自分が加害者になった時に死刑にならなければならないというリスクがあるか

どちらが良いかといえば、前者のほうが良いと思う。

こう言うと、
運転に自信がある人や、そもそも自動車を運転したことのない人は
「いやいや!加害者にならなきゃ良いだけじゃん!」と言うかもしれない。

だが、
運転に自信がある人ほど事故を起こす。(教習所の先生が言っていた。)

そして、運転経験がない人は分からないと思うが、
車の運転というのは、めちゃくちゃ難しい。
角を曲がるときなど、至難の業だ。
まず、曲がる前に、歩いてくる人や自転車がいるか探さなければいけない。
よく確認しても、
歩行者と背景の建物の色味の関係などで見落とすこともある。
それだけでなく、
曲がった先の道が狭いがそこになぜか車が1台いてぶつかりそうになるとか、とにかく道路は危険だらけ。

全ての危険をかいくぐり、目的地まで安全に運転するのは至難の業だ。

人間の注意力には限界がある。集中力にも限界がある。
左側の危険に注意している間に右側で何か起きて事故を起こす可能性もじゅうぶんある。
一応、「集中力が持たないので長時間運転する際は休憩を入れましょう」などと教習所では教わるが、
たとえ10分間の運転でも完全にずっと運転だけに集中していてすべての危険に気を配れるかというと無理がある。

どれだけ心配性で注意深く運転しているという人でも、
何年も毎日のように運転している人で
今まで運転に完全に集中しているとはいえない時間が1秒もなかったという人はいないだろう。
その集中が途切れた、あるいは危険が起きているところとは別の箇所の危険に警戒しているときに事故で轢き逃げなどをしてしまうことは大いにあり得る。

「人を轢いたとしても、逃げなければ良いじゃないか。逃げなければ罪が重くなる例はほとんどない」と言う人もいるかもしれない。
だが、それは今は人を轢いていないから言えることで、
実際轢いてしまったらパニックになりその場から逃げてしまう可能性は捨てきれない。
(当て逃げをした後輩に苦言を呈したが、後に自分も当て逃げをしてしまったお笑い芸人の話は記憶に新しい。)

実際にその状況にならないとわからないもので、
例えば、今は冷静に普通に生きているので「人を殺すことはいけないことだ」と当たり前のように分かっているが、
瞬発的に、あるいはこれまでの蓄積で、
イライラが爆発し、大嫌いな人物を突発的に殴ってしまう、あるいは殺してしまうこともあるかもしれない。

生きていれば、
腹が立って理不尽に相手にキレてしまったとか、
そこまではいかなくても
相手に冷たい態度を取ってしまったとか
そういう日もある。
その延長線上に、
人を殴ってしまう、殺してしまうというのがあるのだと思う。

だから、僕は
絶対に人を殺すことは無い、と自信を持って言い切ることはできない。

今まで人を殺しそうになったことは一度もないし
今後も殺すつもりは一切無い(戦争に行った場合などは除く)が、万が一があり得る。

車に我が子を置いたまま存在を忘れて買い物してしまった、というようなニュースを見ると、
自分が「これだけは絶対に忘れるな」としつこく言われた大事な書類を忘れた日や、小学校に行くのにランドセルを忘れて家を出てしまった日を思い出す。

大事な大事なもの、存在でも
忘れる可能性がゼロとは言い切れない。


だから僕は、大抵のニュースを見たときは
自分が被害者になるよりも加害者側になったときのことを考えてしまう。

ニュースに対してTwitterやヤフーコメントなどで
「極刑にしろ!」などと言っている人間は、
どの犯罪も絶対にしない自信があるのだろうか。
または、自分がもし犯罪者になってしまった場合
死刑でも拷問でもなんでも受ける覚悟があるのだろうか。

私にはその覚悟は無い。

ただ、誤解しないで頂きたいのは、
私は
「誰だって犯罪する可能性があるんだ!普通に生きてても、人間だれしも犯罪者になる可能性があるのだから、みんな無罪にしろ!普通に生きていただけで懲役とか禁錮とか勘弁!」などと言いたいわけではない。

それ相応の罰は受けるべきである。

物をタダで貰わず妥当な金額を支払うように、
タダで出所せずきちんと妥当な刑期を全うすればよい。

極刑だとか死刑だとか、人生終わりだというのは言い過ぎだ、ということである。

こんなことを、最近ニュースをいろいろと見ていて思った。

なぜ急にこんなことを思ったのかというと、
最近、失言1つでCMやラジオやテレビを全て辞めるはめになったタレントや、会社をクビになったアナウンサーを見て、
世の中失言に厳しすぎると思い、
そこから思考を紡ぎ、
犯罪のニュースでいちいち「死刑にしろ!」「罪が軽すぎる!」と騒ぎ立てる連中を思い出したからだ。

世の中、人間のミスに厳しすぎる節がある。

生きていれば当然ミスもするし、故意に何か悪さをすることもある。
人間の脳がそういう風にできているから、どうしようもない。

そんなミスや悪さに対しての罰として、
死んで償う、というのはあまりにも重すぎる。

裁判で負けるとか、執行猶予になるとか、
先に出したタレントの例なら
ある程度怒られて反省し、関係各所に謝罪をしに行って回るとか
それでよい。

そして、脳に「こういう悪さをするとこんなツラい罰を受けることになる」ということを覚えさせることで、
思考回路が「もう一度同じ悪さをしよう」とかいう風に動かぬよう、
出来る限りの対策を尽くせば、それで良いのだ。





(おまけ)
「いやいや、そうやって、悪いことをするのは仕方ないみたいに言うけど、君は仕事をサボっている(ようにみえる)芸人に対してめちゃくちゃ厳しかったじゃないか」という人が時々いるので、
それに対する返答

私の以前推していた芸人やその他、以下のYouTubeビデオで私が喋ったような、仕事をサボっている(ように思える)人たちは、
仕事をサボったことに対する罰をきちんと受けていない。
仕事をさぼろうとしてしまうことは仕方のない事だとは私も思う。
ただ、サボっているのを見破られて
お客様から苦情が入ったのであれば、きちんとそれに見合った罰を受け、
誠意を見せなければならない。
だから私は厳しくしたのです。
もし「いや、サボっていない!こういう理由があるのだ!」というのであれば説明すればよい。
私が車を運転しない者に「実は運転って難しいんだ」と説明するのと同様に、相手にきちんと説明すれば、客側の心のモヤモヤもなくなるし、
演者側も誤解が解ける。


※このビデオは、Twitterで「YouTubeでラジオをしてみてほしい」という意見をいただいたので、試しにやってみた動画です。
話を聞く、聞き役として、水谷アスさんをお迎えしております。


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