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アニメ「ラブライブ!スーパースター!!」10話感想

世の中には優れた観察眼をお持ちの方々がいますが、いくらそういう方々でも、今回の「チェケラッ!!」という話がすみれ回だと予想出来た人は誰もいないでしょう。それほどまでに予想外で、何の心構えもしていない視聴者に追い討ちを掛けるような感情のぶつかり合いという濃密な青春劇を披露されて、気持ちがグチャグチャになりました。凄く良いお話でした。


感情のぶつかり合い

今まで「対立」はあったけど「ぶつかり合い」はなかったなと思い知らされるほど、今回はキャラクター同士が感情をぶつけ合った印象的な話でした。
綺麗な面だけではなく、ある種の生々しい感情を、すみれちゃんを軸に、Liella! の面々、学校のみんなが表現していたのが、個人的には良かった。


すみれちゃんについて

すみれちゃんがこれまで一番星になれなかった理由が明らかにされました。これまでの失敗があったせいか、自分自身に自信を持てなくなり、自分の力を発揮出来なかった様子が描かれていたように思いました。
4話を観て何となく思っていたけど、すみれちゃんって、背負っているものが主人公タイプだなと。
というか、「実力はありながら」、「失敗や挫折を何度も経験し」、「好きなことを諦めている」って、これ、一体どこのかのんちゃんだよ。
もはやすみれちゃんは裏主人公のポジションだよね。そう思ったよ。
前々から好きなキャラだったけど、今回の話を観て、すみれちゃんが本当に大好きになった。
努力をし、能力もあるけど、一番には届かない。
こういった経験は、おそらく誰しもあると思う。
この辺のくだりは、1話から3話でかのんちゃんがやってるのだけど、個人的にはすみれちゃんの話の方がよりグッときた。その理由を考えると、すみれちゃんのこれまでの描かれ方が、いわゆる「持ってない」人間として描写されてたからか(さらに言うと、かのんちゃんが3話でコンプレックスを克服し、みんなを引っ張るカリスマリーダーになって、距離が少し遠く感じてしまったというのもある)。
自分のことを「持ってる人間」だと心から思えるような人は少ない。自分が「持ってる人間じゃない」と薄々気付きながらも、「持ってたらいいな」という淡い気持ちを抱いて生活している人がほとんどじゃないだろうか。そういった点で、すみれちゃんと視聴者との距離感がとても近く感じる。
能力を発揮する場所が出来て、でも実際にやってみたら焦りが出てしまい、他人の評価はイマイチ。やっぱりそんなもんだよねと自分を納得させようとするけど、悔しさと情けなさがあって呑み込めない。
この辺りの心理が、とても人間味があって共感出来る。
4話の感想ブログでも書いたけど、すみれちゃんって、これまでのことがあるから、どうしても「待つ」というスタンスが染み付いているのかもしれない。待つ姿勢だから、いざという時に実力を発揮しきれない。それではいけない。
歴代の主人公達が、かのんちゃんがそうだったように、何かを成し得たいという時に必要なのは、自分から掴みに行く姿勢だ。
そういった意味では、クゥクゥちゃんが作ったティアラが風に飛ばされた後のシーンが凄く印象的だった。
風にさらわれたティアラを、すみれちゃんが追い駆けて、怪我も承知で掴み取った姿は、紛れもなく自分から勝ち取りに行った姿のように思えて感動した。
すみれちゃんは、見た目の優雅さとは裏腹に、傷付きながらも挑戦する姿が似合うなぁと思った。


クゥクゥちゃんについて

今回の話は、すみれちゃんだけではなく、クゥクゥちゃんについても色々と分かった回でもあったように思う。
クゥクゥちゃんの事情については、やはり帰国云々の話は出てきたか、という感じ。
ただ、結果を残せなかったら帰国しなきゃいけないという大事な勝負の場所で、センターをかのんちゃんではなく、すみれちゃんに託すというのがとても熱い。
二人のやり取りで、個人的に一番心にきた所は、すみれちゃんが同情なんかでセンター任されても嬉しくない、という言葉に対し、クゥクゥちゃんが即座に否定するシーン。
クゥクゥちゃんはメンバーの中で、スクールアイドルに一番真摯に向き合っているから、すみれちゃんの能力とその努力も一番よく見ていたのではないか。だからこそ、同情という言葉をすぐに否定することが出来たのかなと思って感動した。
これまで二人の…というかクゥクゥちゃんのやり取りは、まぁまぁ辛辣な言葉を投げていたけど、今回の話は、これまで以上に酷い言葉を使っていたように思う。
でも、作中を通してみたら、それらも全て今回のための計算された要素だったって分かるし、その結実した結果としてお互いがお互いの名前を呼ぶ、という形になるのも非常に熱い。
ただ、今回の話を観て、クゥクゥちゃんの立ち回りについて思ったことがあったから、それを書くことにする。
自分が思ったことというのは、スーパースターという物語のキーパーソンに、再びクゥクゥちゃんに焦点を当てようとしている、と感じたことだ。
今回のすみれちゃんとクゥクゥちゃんのやり取りって、飛び交った言葉こそ乱暴ではあったけど、実は1話~3話のかのんちゃんとクゥクゥちゃんとのやり取りとだいたい同じのように思う。
この時は、歌えなくなったかのんちゃんに対して、クゥクゥちゃんが物語のキーパーソンとして背中を押したけど、今回もすみれちゃんに対して、センターへの後押しをした。
自分が今回、すみれちゃんを裏主人公として見ているからかもしれないけれど、この10話は1話~3話をレビューしているような気がした。
では、何故そのようにしたのか。
スーパースターの物語は、クゥクゥちゃんが、かのんちゃんをスクールアイドルに誘った所から始まった。つまり、物語のトリガーを引いたのはクゥクゥちゃんだ。1話~3話の中で、主人公であるかのんちゃんに影響を与えるクゥクゥちゃんの存在感は別格だった。おそらく視聴者もそうだったんじゃないだろうか。
ここで敢えてこういう流れにしたということは、クゥクゥちゃんが再び物語の中心になるよということを示唆しているのかなと思った。
まぁ実際、帰国云々の話が上がっているけど、もしかしたらそれ以上の課題が待っているのかもしれないなと。


ラップについて

今回の話の中で、個人的に最大の疑問だったのは「どうしてラップを扱ったのか?」ということだった。
課題に組み込む内容としては、別にラップじゃなくても色々と選択肢はあったはず。にも関わらず、その中からラップを選んだということは、製作陣の中でラップじゃなきゃいけなかった理由があったはず
最近、ラップを嗜んでいる友人にラップのことを聞いてみて、自分なりの解釈が出来たので、こちらも書くことにする。
まず前提として、音楽をするということ自体、実は結構ハードルが高い要素だったりする
音楽の代表でいうと、ピアノとかギターとかドラムとか色々とあるけど、そういったものは楽器が必要になる。つまり、楽器を買うお金が必要になる。また、当然ながら楽器のメンテナンス費、場合によっては買い換える必要も出てくるだろうから、楽器を買ってはい終わり、という訳にもいかない。
また、今は動画配信等で学べる機会はあるけど、対面で一から学べる専門の教室に行く場合も多いことだろう。そこでもお金がかかる。
つまり、音楽をするという行為自体、ある程度、環境に恵まれた(選ばれた)人にしか出来ないもの、という見方が出来る
家庭の財政事情が芳しくなく、音楽をやりたくてもやれないといった、自分の力ではどうすることも出来ない外的要因に影響を受けやすいという側面もある。
対してラップはストリートカルチャーから生まれたものだ。
ラップを構成するのはリズムと言葉だけ。楽器は必要ない。ラップに必要なのは、語彙力と、どの言葉を使うのかという思考力。これらは自分の努力次第でいくらでも高めることが出来る。
つまりラップは、お金といった外的要因に影響されず、やりたいと思った時にすぐに始められる音楽と言える。選ばれる必要はないのだ
そして、ラップに求められるのは純粋に自分自身の能力だけ。どれだけ自分自身を磨いてきたかが問われる
おそらく、今回の話にラップを扱ったのは、これが理由だったんじゃないだろうか。
だとすると、今回の話の主役がすみれちゃんで、すみれちゃんのコンプレックスの解決策としてラップが選ばれたのも、何となくの解釈が出来る。
すみれちゃんは、子供の頃からショウビジネスの世界を経験し、アドリブ力があり、歌もダンスも他のメンバーに引けを取らない力を持っている。
ただ、センターに立つということは、それ以外の要素――人を惹き付けるオーラみたいなものが求められがちだ。
でもラップならば
純粋に自分の力が試されるラップならば
すみれちゃんが子供の頃から積み重ねてきた実力が、遺憾なく発揮することが出来る
オーラなどという曖昧な外的要因に左右されることはない。誰かに選ばれる、などという「待つ」ことも必要ない。
つまり、すみれちゃんが元々持っていた実力を示すものとして、実力者を炙り出すラップが選ばれたのかなと思った


最後に

次回予告で出てきた会場が、かのんちゃんのトラウマっぽい場所で、これはまた視聴するのに覚悟が必要そうな回だなと思った。
上にもちらっと書いたけど、かのんちゃんは1話~3話を経てトラウマを克服したと思ってたから、ここでまたかのんちゃんの心を揺さぶろうとするとは…!
一体どんなドラマが待っているのか楽しみです!

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