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多様な価値観でいられる居場所を作ってみたい!興味あるSHEメイトさんお話ししましょ〜!

こちらのツイートにたくさん反応頂いてありがとうございました!🥰
数名の方がコメントを下さり、「お話ししたいぞ~!」とわくわくしております!
kureさんとお話ししてみて、「お互いに湧き上がってきた気持ちを書いてみよう!」と話していたので、私も書いてみようと思います。

Kureさんのnoteはこちら。

ひとまず、ちょっぴり人見知りな私がkureさんとお話ししてみた経緯から書き始めようと思います。

きっかけは、kureさんの自己紹介noteに私がコメントしたことから。自己紹介とともにやりたいことも書いておられて、ちょうど「旬香のこれから叶える夢リスト」を書いている途中だったのもあり共感度が高かったnoteでした。

そのなかで「駆け込み寺を作りたい」と書かれているのを見て、「私も作ってみたいから、どんなふうに作っていくのか知りたいな」と思いコメントしました。

正直、このときは「先ゆく“すごい人”がやるのを、参考にしたい」くらいの気持ちでした。

そんなコメントに返信とDMをくれ、お話ししましょうと言ってくれた、kureさん。行動力すごいなぁ〜。

実は私、オンラインで知り合った方とコーチング以外でお話しするのは初めて。今までも全く知らない方からDMで誘われたこともあったんですが、SHEメイトさんでもなかったので怖くてお断りしていました。kureさんはTwitterをしばらくフォローしていて「知らない人」じゃなかった上に、やりたいことが同じで怖くなくて、お話しする日を楽しみに待っていました。
今思うとビビらずお話しした自分えらい!

緊張はしたものの、まずお互いの自己紹介から。駆け込み寺のお話をし始めると、本当に止まらなくて一度Zoomに入り直しつつ、お話ししました。

あまりに共感できることが多くて、「おんなじ気持ちの人いるんじゃない???」となって発信してみたら、本当に出会えたのですごいなあとびっくりしています。

さっきからびっくりしか言ってない😂


そんなわけで、「駆け込み寺作りたい人っていますか?」と発信したからには、私のイメージも書きます!!!

私は今、超田舎町で小中学生の子どもへの福祉的支援をしている27歳です。

自己紹介はこちら。


私がはじめて「駆け込み寺」っぽいものに関わったのは、大学のとき。

社会福祉士の資格を取るためには、大学3年生で実習に行く必要がありました。行先を決めるゼミの先生に「子どもをルールにはめ込むのはしたくないから、施設はイヤ」「でも子どもに関わりたい」と言ったところ、紹介してもらったのが子ども食堂や子どもの居場所事業をしているところでした。

私が関わらせてもらったのは、高校を中退した若者たちの支援。高校を中退した子のなかには、ついていけなくて退学になってしまう子がたくさんいます。そんな子たちが行く先は、地元のゲームセンター。ゲームするにも、仲間とつるむにも必要なのは、お金。でも、家に居場所がなかったり家庭が貧困状態にあったりで、実は食事や服装に困っている子がたくさん。そんな彼らがお金を得るために選ぶ方法が、カツアゲでした。

そんな若者たちを団体の代表が見つけてきて「うちにおいでよ」と連れて来たら、一緒に過ごすのが私の役割でした(念のため、ちゃんと資格を持って高校でも働いて、公的に連れてきてます)。

ひとまずカツアゲではない方法で、お金を稼いで欲しいのですが、いきなり働かせるわけにもいきません。ゲームや推しの話をしながら一緒にごはんを食べ、「お金がいるよね~」となったら、CD-Rを焼いてもらったりイベントのお手伝いをしてもらったり、「こういうことしたい」と言ってくれたら計画を立てて一緒に実行したり。とにかく「やりたいこと」に合わせて、なんでもできました。

運動不足だと言えば、体育館を借りて運動をする。秋葉原に行きたいと言えば、計画を立てて必要なものを一緒に集めました。来てくれたらごはんが食べれて、Wifiがあって、エアコンがある。そんな場所でした。

今は、私がいた頃に比べてどんどん事業が広がっていて、いわゆる「神待ち」「家出少女」(Twitterで検索して頂くと、ずらっと出てきます)の子どもたちに連絡して泊まってもらったり支援につなげたりしたこともあったようです。

実習に行く前から「子どもをルールにはめ込むのはしたくない」と思っていた私。だからこそ、来てくれた子に合わせたサポートができる場所を見つけたのが楽しくて、実習が終わっても大学卒業までずっとバイトをしていました。

今の仕事も「断らない」「なんでも屋さん」で、できるだけ決まっていることに子どもをはめ込まないようにしています。

作りたい「駆け込み寺」の理想①
「来てくれた人に合わせて、形を変えられる」
「ルールにはめ込まない」

そんな大好きな「福祉」の仕事について6年。自分や福祉の置かれた状況に、苦しさを感じるようになってきました。

「福祉」は多様な価値観を「そういうのもあるよね」と認めていくことだと思っています。

でも、それを伝える私の雇われ方は、非常勤の公務員。「主にお金を稼ぐ夫のいる主婦」を前提としているように感じる形です。

実際に結婚した途端「仕事をやめるらしい」と噂が立ち、給料が低くても産休育休がなくても「旦那さんいるから、いいでしょ?」と言われたこともあります。ほぼ低賃金な上に、副業厳禁。副業をすると規定で懲戒免職です。

最近では同じ雇われ方の司書さんが声をあげていました。

「女性は夫がいるから、キャリアパスもなく、自立できないような給料でも構わない」
「優しそうだから、若い女性がいい」

そう言われることにずっと違和感を持ってきました。子どもたちに、ジェンダーや将来の話をするときに、なんだか嘘をついているような気分になります。

むしろそういった違和感を持たない人が、子どもたちに「多様な生き方」を提案できるのか?と疑問に思います。(違和感があるけれど、自分の状況に合わせて選択しているという方もいるかもしれませんが)
実際に「男の子だから、ちゃんと仕事して稼がないと」「女の子だからね、家事ができればいいからね」という言葉を同じように子どもに接する人から聞くのはめずらしいことではありません。

福祉の1番大事なことはその人の「できないところ」ではなく、「強み」に目を向けること。

従来の価値観で苦しくなってしまった子どもたちに「大丈夫だよ」と言える仕事のはずの「福祉」が「偏った価値観」と「低い賃金」で雇われた「女性」ばかりの上に成り立っている状況で、どうやって子どもたちに「自分が大事だと思う価値観で生きていけるよ」と言えばいいのか、分からなくなりました。

私自身も、福祉が大好きで信じて来たけど、このままでは貯金もできないし子どもができた途端にキャリアを失います。転職サイトの経歴欄では選択肢に現職を選ぶ欄すらありません。「市場価値としては、何もしてこなかったも同然」で、ただ歳を重ねてきたんだ。そう思ったら、「この子たちに大丈夫なんて、無責任すぎて言えない」と思いました。

どんなに綺麗ごとを並べても、人からどう思われるかは大事だし、お金もないと心の余裕がなくなっちゃう。「みんなと同じようにいい子にして性別によって求められる努力をちゃんとするとお金を稼ぎやすいらしいよ」「生きづらさや障害は、スタートラインが後ろの方にあるみたい」「そんな私たちは、どうしようねぇ」。学校に行かない、いい子に振る舞うことに疲れてしまった、今は努力は難しい。そんな子どもたちに向かって後ろめたい気持ちなく伝えるならこんなふうになってしまいます。

また、福祉に対する世の中からの見られ方も気になっています。例えば、生活保護。国の助けを借りて生きていることに対して、まるで鬼の首を取ったように非難する人が少なからずいます。特に子どものお母さんとなると、「親がそんなだから…」と当たり前のように言われます。ずっとそう言われる側の方々の相談を受け続けていますが、「本当にこの人が助けを受けないように頑張ることだけが、やるべきことなの?」と疑問に思います。

国の助けを受けることを非難している方は、自分はその状況に陥らないとなぜ断言できるんでしょうか?何事にも絶対はないのに、自分はそっちの側には行かないとなぜ思えるんでしょうか。

私が仕事で出会う子どもたちも、お母さんたちも「従来の価値観」にさらされて生きています。

学校ではしんどいことばかり、家でも怒られてばかり、「生きててもいいことない」と言う子どもたち。

子どもを産んだらキャリアを失って、子どもは学校に行かなくて、周囲から「お母さんが頑張らないと」と言われるお母さんたち。

「その価値観で生きていかなくていいんだよ」と言える人がいる場所が、気軽に立ち寄れる場所にあったら、八方ふさがりな気持ちが少しは救われる気がするんです。

「福祉」「障害」「貧困」「不登校」。まだまだマイナスイメージが強く、かつ女性が負荷を背負いやすい実態があります。「そういう人」と「そうじゃない自分」を切りわけてしまう人が多いのも事実。

正直従来の価値観がまだ色濃く残るなかで「福祉」を前面に出した居場所を作ることはデメリットも大きいと感じています。「子ども食堂」や「障害児向けサービス」と名前の付く場所に通ってくる子どもたちが他の子どもたちから「おまえそういうとこ行くんやろ」とからかわれる姿も見てきました。

だから、私が作りたい駆け込み寺は「そういう場所」と呼ばれるような切り分けられた場所ではなく、誰でも来れる場所です。新卒からずっと福祉のなかに身を置いて、いいところも現実もどちらも見て来たから、今は「福祉の対象になる人」「対象にならない人」と思わず、同じ目的をもって違うことを楽しめる空間がいいなと思っています。既存の形には違和感があるので、新しい形を探したい。私が知らないだけであるのかもしれませんが、時間をかけても理想の形を求めたいと思っています。

作りたい「駆け込み寺」の理想②
誰でも来られる「ジャンルのない場所」

色んな価値観の人が、自分の価値観のままに認められて、楽しそうに生きている。そんな姿にお互いに刺激を受けられたら、心の底から「自分の価値観で生きて、大丈夫」と言える大人になれる気がします。

作りたい「駆け込み寺」の理想③
「多様な自分の価値観で生きても、大丈夫だよ」を体現している・したい人が集まる場所

私は本を読むのが大好きです。絵本や小説のなかにはよく「不思議なお店」「森の中のお店」が出てきます。それは森の中のほらあなだったりカフェだったり。皆が集まってあったかい空間。普段の生活からちょっと離れて話ができたり、気づきがあったり。本の中から飛び出してきたような、何気ない居場所を作りたいと思っています。

作りたい「駆け込み寺」の理想④
日常から離れた本の中から飛び出してきたような場所


結構生々しくて、自分で言葉にするのも辛くて、あんまり書かずにいた「義憤」。もう福祉のキャリアはなかったものとしようと思っていました。

でも、こんな義憤に共感してくれたkureさんがいて、「駆け込み寺」という言葉に興味を持ってくれる方もたくさんいて。正直「役に立つのか〜!」と目からうろこがボロボロ落ちてます。

新卒で相談業務に就く人はかなり少なく、ほとんどの場合は年功序列のようにいったんは現場に行くことが多いです。そんななか、新卒から6年間、相談の現場でたくさんの現実を目の当たりにして現実がたっぷり詰まったお話しをきかせてもらってきました。正直レアな人間です。医療、心理、教育、お金の専門の方ともたくさん連携させてもらった経験も私にとっては宝物です。

転職するならもう役に立たないと思っていた私の経験が、「駆け込み寺」を作ってみたい誰かの役に立つなら。ゆくゆくは自分の思い描く場所を作れたら、こんなにうれしいことはありません。

kureさんとお話してみて気が付いたのは「福祉が大好きって気持ちは色あせてなかったんだな」ってこと。義憤も提案も止まりませんでした。

みなさんにもきっと、いろんな義憤があると思います。福祉に関する義憤がある方も少なくないでしょう。福祉のことはお役に立てることがある気がしますし、ご提案もできるかもしれません。
私には福祉の知見しかないので、私もまだまだたくさんの方のお話が聞きたいです。

今すぐ「駆け込み寺作ってみたい!」方はもちろん、「義憤あるかも」「駆け込み寺じゃないかもだけど、こういう場所いいなってイメージがある」なんて方も、多様な価値観を認める場所づくりをテーマにお話してみませんか?DMやコメントお待ちしています!
(ひとまずは、SHEメイトさんに限らせていただきます!💦)

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