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ラジオを聴いて「政治への親しみ」を考えた

ラジオクラウドでラジオを聴くことがちょくちょくあります。
定期的に聴いているのが「荻上チキsession22」。
9/28から放送時間が変わって「荻上チキsession」と名前が変わりました。
その中で、先週24日(木)のオープニングを聴いて感じたことを書きます。

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「親しみ」の副作用

「政治に親しみを持つ」ということを考えたときに、最近政治家自身のプロフィールや人柄、日常生活を前面に出して「政治家に親しみを持つ」ということをちょくちょく見かける。(趣味とか個人のエピソードとか)
一方で、その人がどんな政策を考え、実行しようとしているか語られることが少なくなっているように感じる。

どんな人が政治に携わっているのかを知ることは大事だし、僕自身もちょっと堅苦しく感じる政策よりとっつきやすい。
けど、具体的に何を実現しようとしているのかということに自分の意識が向かず、足踏みしているようにも感じてる。

ふと、池上彰さんが言っていたことを思い出した。
うろ覚えだけど、確かこんな感じ。

わかりやすさから興味を持ってもらい、深くそのことを知ってもらえることを期待していたけど、わかりやすいことに留まり深く知るところまで入ってこない状況が起きている

類書もあったのでとりあえず掲載。

目的と手段、どちらがどちら?

最初は、政治に親しみを持つための手段として「人となり」を紹介し、そこから政治そのものへの興味につなげていこうとしていたのが、いつの間にか「人となりを知ること」が目的になっている。
これは、わかりやすさで止まっているひとつの例だと思う。
わかりやすさを重視したストーリーはその人の色々な側面を見えなくするし、思い込みにもつながる。そうすると自由な思考が働かなくなって、結果として自分自身が不自由になっていくし社会の分断にもつながっていくと思うんだ。

また、日本では「人となり」と「やっていること」がごちゃ混ぜになって語られることが多くて、そのことも相まって「あの人に任せれば大丈夫」という感じになってしまっている。少なくとも僕自身がそうなっていることがちょくちょくある。

できることってなんだろう?

具体的にこうすればOK、というのはまだ出てこないけど(これも「わかりやすいストーリー」なのかも)、それでもこんなことはできるかなと思う。

・「わかりやすいな」と感じたら、その情報から落ちているものがないか意識してみる
・「何をやろうとしているか」を調べてみる

これだけ様々な情報が氾濫している中、さまざまなことに意識のチャンネルを向けるのはとても大変なことだけれど、それでもできるところから、意識的に起きていることを見てみようと思う。

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