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私のこれまでと、これからの話

2022年3月23日に発売される乃木坂46 29thシングル「Actually…」でセンターを務める中西アルノさんが、一昨日活動の休止を発表しました。
僕はTwitterはやってないので、彼女の過去については深くは知らず、ざっくりとした内容しか知りませんでした。これは、一昨日の本人の口から発表された彼女の過去とその真偽を受けて、正直残念に思った僕の心境と、それでも彼女に諦めてほしくなかった願望を込めた、僕の身勝手なエールです。

彼女の過去はどうであれ、中西アルノは間違いなく、これからの乃木坂の武器になれる存在だと思っています。
僕はただ純粋に、そんな才能あふれる彼女に、乃木坂のこと、僕たちファンのこと、何より自分自身のことを嫌いになって欲しくなかったんです。

いつかみんなが温かく迎えてくれる未来が待ってるから、彼女には諦めて欲しくない、嫌いになって欲しくないと僕は思っています。

この文章はもちろん、ただの憶測に過ぎないけど「もしかしたら彼女はこうだったのかもしれない」という視座を、ネットで彼女を叩いてる人に獲得して欲しくて書きました。

※繰り返しになりますが、この作品はあくまでフィクションですので、事実ではありません。


『私のこれまでと、これからの話』

今日は、私の夢の話をしようと思う。いや、もしかしたら夢というより目標に近いのかもしれない。
これからの私がやりたいこと、目指したい場所のことだ。
でも、その前に一度、私自身の話をしようと思う。

私は千葉で生まれ育った。歌うのが好きなどこにでもいる普通の女の子だ。強いて言うなら、名前が珍しいから、小さい頃はよくからかわれたりしたくらいだ。歌が好きだと気付いたのは、些細(ささい)なことだった。
幼い頃に、両親の前や、高知県にいる祖父母の前で、テレビの歌番組で流れていた流行りの曲、今見ているアニメのオープニング、地元だけに流れているCMソング。そんなものをみんなの前で披露すると、みんなたくさん笑顔になって、たくさん褒めてくれた。幼ながらに、その高揚感(こうようかん)に酔いしれていたし、やみつきだったんだと思う。
保育園の発表会では、必ず主役になりたかったし、小学校の委員会決めでは、絶対に委員長になりたかったし、学芸会でも目立つポジションにいたかった。そんな目立ちたがり屋な子供時代だった。

それが変わってしまったのは高校一年生の時だ。いや、もしかしたらもっと前から徐々に崩れていたのかもしれない。
小学校を卒業して中学に上がるときに、明らかに今までとは違う環境だと感じさせられた。先輩後輩の縦の関係、仲のいい人で形成されるいくつものグループ、ステータスが比べられ優劣をつけられる、目には見えないヒエラルキー。今までの環境が平和に見えたほどに、教室はいつもギスギスした不協和音(ふきょうわおん)が鳴り響く戦場のようで、私はそこに、着の身着の儘(きのみきのまま)で放り込まれたみたいだった。特に私は中高一貫の女子校に入学したから、より顕著(けんちょ)にそう感じたのかもしれない。
「あの子の機嫌を損ねるとグループから外されるかもしれない」、「あそこのグループはキモい奴らばっかだから、あいつらとは関わらないでね」、「後輩のくせに勝手な行動しないでよね」
そんな聞こえないけど確かに存在する言葉に、いつしか心が削られてしまった。高校一年の時は、毎朝学校に行くのが憂鬱(ゆううつ)で、行きのバスの中、学校に近づくにつれて胃がキリキリと痛んだ。これまでの三年も辛かったのに、これからまだ三年もここにいなきゃいけないと思うと、苦しくなった。

なので、私は高校二年の夏に定時制の高校に転校した。他にも色々選択肢はあったけど、狭い範囲で争いあう場所はもう嫌だった。多様性を認めてくれる場所、色眼鏡で見られない、見なくていい場所、それが無理なら、せめて人間関係が希薄な場所がよかった。実際に転校先の高校では、今まで知り合うことのなかった人達と出会って、私の価値観と視野を大きく広げてくれたと思う。
あの頃はそれが最善だったと今でも思うけど、やっぱり心のどこかでこう思っていた。
「道を踏み外してしまった」と。もう私は普通じゃないんだなと。心の問題を解決するために環境を変えたのに、それがまたもう一度私を苦しめ始めた。

転校したそれからもたくさん眠れない夜があった。一人薄暗いベッドの中で、自分自身を取り囲む今の現実に、醜く言い訳を繰り返していた。もう何度繰り返したかわからない。お母さんもお父さんも、何かを言ってくれたけど、私には何も届かなかった。
傷を舐め合う誰かが無性に欲しくなった。自分と同じ境遇の誰かを見つけて、「私だけじゃないんだ」と安心したかった。今の世の中はそういう意味で便利だ。ウェブサイトやSNSでキーワードを打ち込むと、ごまんと同じ経験をした人を教えてくれる。私は毎晩のように、そういう人たちのツイッターの文章や、ユーチューブの動画、ブログなんかを読み漁っていき、溶け合っていった。そこにある独特の空気感や、言葉遣いに徐々に染まっていった。

今顧(かえり)みると、それで救われるのはほんの一瞬で、ほとんどの場合、より深みにはまってしまうのだろうと思う。本当に解決したかったら、同じ世界を見続けるんじゃなくて、どこでもいい、別の世界に飛び込んでいくべきなんだ。
だけど、あの頃の私は、ひたすら逃げることしか頭になかった。どんどん深みにはまっていった。そのせいで、たくさん間違ったことをしてしまった。

人の心というのは、卵みたいなものだ。温かい環境で愛を持って育てられれば、元気な雛(ひな)として生まれることができるけど、冷たい場所で、悪意を持って刺激され続ければ、自分自身を守るため、殻はどんどん硬く厚くなり、ひび割れて漏れ出るものは、ドロドロとした強がりなキミだ。

私もそうだった。何か嫌なことがあった時、ストレスを感じた時、現実から目を背けたくなった時、まるで臆病(おくびょう)なハリネズミが敵を威嚇(いかく)するように、たくさんのひどい言葉を吐いた。
言い訳するつもりではないが、そうしなければ、自分自身を守ることができなかったから。強がりな刃を振るい続けることで、自分自身をそういう人間であると思い込みたかった。
いや、もしかしたらそれだけじゃなかったかもしれない。あの頃の私は、そういうブラックユーモアのようなものが蔓延(まんえん)する環境に居すぎて、感覚が麻痺していた部分があったのだと思う。または、新しい言葉を習いたての子供のように、その独特な感覚を使ってみたかったのかもしれない。
どんな言葉を使っても言い訳にしか聞こえないな。
でも、やっぱり今の自分とはまるで別人みたいな言葉を使う私が、その頃のSNS上にいたように思います。

そして同じ頃、ほとんどアマチュアみたいなモデル活動も始めた。SNSを通じて個人でやっているカメラマンさんと繋がって、契約としてお金をいただいて、撮影をしてもらっていた。「自分を表現したかった」と言えば聞こえはいいが、内心どこかで自分を見て欲しかったのかもしれない。私だけを見て、私だけを感じてほしい。普通じゃなくなったのなら、その分特別に見て欲しい。そんな駄々をこねる幼稚園児みたいな自意識がどこかに内在していたのかもしれない。

ここまでずっと「かもしれない」ばっかりなのは、今でも私は私というものがよく分かっていないからだ。どこまでいっても、自分が自分たり得るものがなんなのか、その手がかりすら未だに見つけられていない。けれど、今は過去を振り返らないといけない。過去と向き合わなければいけない。だから勇気を振り絞って、正面から向き合っている。
皆さんには、私の独白にもう少しだけ付き合って欲しい。

被写体としてレンズの向こうに自分の気持ちを訴えかけるのは好きだった。私も向こうもプロではない(たまにプロもいたかもしれないけど)から、本物からみたら大したことなかったかもしれないけど、それでも私はそこに写る自分の姿に惚れ惚れしたし、誇りに思っていた。金銭は発生していたけど、それによってより責任感を持って活動していた。
幸運にも、私がそうやって出会った人はみんな常識的で誠実な人ばかりだったように思う。けれど、色んな人に出会うにつれて、段々と個人間でやりとりすることに怖さを覚え始めた。お金をもらうということの意味を、また、トラブルがあっても私を助けてくれる人は、そこには誰もいないことにやっと気づいたのだ。それにある日急に、募集用のアカウントが使えなくなったのだ。未成年の個人活動がバレたからなのか、今まで出会った人の誰かに恨まれてしまったのか、理由はわからない。真相は今も藪(やぶ)の中だ。
なので、それからは撮影会に所属して、撮影に参加するようになった。今までのように撮影外の交流などは無くなったけど、その分より被写体としての役割に真剣になっていった。
その経験は今でも私の糧になっていると思う。

それからしばらくは、そんな日々を繰り返していた。暗黒時代のようなあの頃の私より幾分マシになっていたと思う。
だけど、ずっと胸の中にはしこりがあった気がした。
「私のやりたいことは本当にこれなの?」
と、自問自答を繰り返した。けれど答えはずっと、ずっと見つからなかった。

そして、高校三年生、一八歳の夏の日、私はその答えを見つけることになる。

 誰にも言えてない夢がある?
 あの人のどこに憧れている?
 本気で、泣いて笑って、青春してる?
 背中を押してくれる何かを、待ってる?
 たった一度の夏、
 たった一度の、きみへ。
 『乃木坂46新メンバー募集』
 この世界の、未完成は美しい。
乃木坂46新メンバー募集オーディション

この言葉たちを見た時、涙が溢れそうになった。ジグソーパズルのピースのように、ぴったりと私に当てはまった気がした。烏滸(おこ)がましいけれど、このオーディションは私のために用意されたと、当時は本気で思った。
その時、私の心の中にも燻(くすぶ)っている何かがあることに気づいた。

「たくさんの人の前で歌いたい」

結局、私の根幹(こんかん)はそこなんだと思う。もちろんモデルの活動も嫌いではなかった、むしろ好きだけど、一番じゃなかった。幼い頃から私にずっと寄り添ってくれていたもの、楽しい時はより楽しく、辛い時は寄り添って励ましてくれたもの、それが歌だった。周りからどう見られようが、どう言われようが、これが私の中にある確かな手応えなのだ。

歌が好きだ。歌うことが好きだ。カラオケで良い点を取れると、思わずニヤけてしまうほど嬉しいし、何より、あの頃の両親や、おじいちゃんおばあちゃんのように、私が歌うことで喜んでくれる人の笑顔を見ることがとても大好きだ。
振り返ってみれば、歌うことの技術だけはずっと練習していた。カラオケやお風呂ではどうやったら上手くなるか、研究を重ねたし、シンガーソングライターの方は、有名無名問わず、聞き漁った。歌うこと、そこだけは誰にも負けたくなかったし、誰にも負けないと思った。

気づいたら、応募用の写真をとっていた。モデルとしての経験を活かして、自分を最大限写真に写すことにも自信はあった。それから、一次審査、二次審査、三次審査、四次審査、五次審査、最終審査と進んでいった。

そして、私は乃木坂46の一員になることができた。しかも、次のシングルのセンターに立つことが決まった。たくさんのプレッシャーやレッスンの厳しさがあったから、手放しに喜べなかったけど、若輩ながらにとても嬉しかった。やっと報われた気がした。

だけど、この物語はそんな単純なハッピーエンドではない。もしそうだったら、私はこんな風に回想したりなんかしない。

過去が、私が今まで歩んできた道のりが、今の私の前に大きな壁となって立ちはだかった。ネットには、私の昔の写真たちが、昔の言葉たちが晒されていた。
色んな憶測が飛び回り、奇異の目に晒されて、あの頃の私のようなたくさんの暗い言葉がかけられた。
因果応報、と言ったら否定はできない。私はそれだけのことをしてきた。だから私だけのことなら、どんな言葉も受け入れるつもりだった。

けれど、それだけではすまなかった。私がセンターに立つことで、全く関係のない、先輩やたくさんの大人たちに迷惑をかけてしまった。私が未熟だったばかりに、皆さんが血の滲むような努力で培ってきた、今までの十年に傷をつけてしまったように感じた。取り返しのつかないことをしてしまった。
本当に悔やんでも悔やんでも、悔やみきれなかった。
何が一番苦しかったって、こんな私に、どうしようもない私に、先輩や同期やスタッフさんは優しかったことだ。こんな大事になって、取り返しのつかない状態なのに、それでもみんなは責めたりせず、優しく励ましてくれた。それがどうしようもなく苦しかったと同時に、この優しさに絶対に報いなければと思った。

今までのこの拙いモノローグは、その一つだ。
私の過去が、みんなに迷惑をかけた。それも責任が取れない範囲の、大きな大きな迷惑だ。できることなら、人生を最初から全てやり直したいと、心の底から願った。だけど、それはできない。

過去が変えられないならば、向き合うしかない。私が犯したたくさんの過ち、その一つ一つに、真摯に向き合うしかないんだ。もしかしたら、この先一生自分に付き纏って、障壁になり続けるかもしれない。それでも構わない。一生向き合い続ける。そして、その上で貢献し続ける。私を受け入れてくれた、この乃木坂46というグループに。私が選ばれた理由は、まだよくわからないけど、私が選ばれたそこにある確かな理由、それを武器に活躍し続ける。それが私にできる唯一の恩返しだ。
だから私は諦めない。絶対に逃げない。
今までの長ったらしいこの文章は、その覚悟を決めるためのソリロキーだ。

今あるたくさんの私への批判は、それだけ多くの方が乃木坂46というグループを愛しているからだと思います。そんなみなさんにそういった気持ちにさせてしまっているのが、今は本当に心苦しく、申し訳ない気持ちでいっぱいです。みなさんに今すぐにでも報いたい気持ちはあるけれど、色んな状況を考慮して、一度前線から外れることになりました。戻ってきても、私の居場所はもうないかもしれない。仕方ないけれど、正直に言うと、今はそれが、何よりも一番怖い。
でもいつか、皆さんに認めていただけるように、そんな存在になれるように、自分にできる精一杯で努力をし続けます。

これは今の私が、これまでの私、そしてこれからの私を救済するための、心の底からの決意表明です。

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