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スポーツの大会を観戦・応援しない人は"非国民"なのか? 〜多数派が正義なのか?〜

どうもこんにちは。趣味ゲーマーです。
先日3333文字にわたりお届けした自己紹介の記事に、たくさんの"スキ"をいただき、驚きました。
読んでくださった方々、ありがとうございます。

さて、今回はタイトルにある通り。
大きいものだとオリンピックや、サッカーのワールドカップ、野球のWBCなど…様々なスポーツで国同士が実力を競い合ったり、時には国内(甲子園野球など)でNo.1を争ったりしてますよね。
自分はその類に全く興味が無く、応援どころか観戦もしません。
"スポーツの大会"と曖昧な表現にしたのは、上記のそれらを総合してなんと呼ぶのが正しいかすら分からないからです。見ないんだもん。

先日、どこかしらの何かしらのイベントにて、お笑いコンビ「ニューヨーク」の嶋佐さんがWBCについて「"(日本に)早く負けてほしい"と発言していた」と相方の屋敷さんに暴露され、ネットで炎上したというネットニュースを目にしました。
なおご本人はTwitterにて強く否定されており、記事をいくつか見てみると「(嶋佐さんが)そう言ってたって書いておいて」と屋敷さんが記者にけしかけただけというのが事実のようです。

嶋佐さんは"野球嫌い"を公言しているそうで、ネタでもお馴染みの毒舌キャラが災いし"実際に言っててもおかしくない"と思われてしまったのかもしれませんね。
「身から出た錆」と言うと語弊があるかもしれませんが、「彼がそんなことを言うはずがない」というイメージが付いていれば今回のような誤解による炎上はなかったのかも知れません。
しかし、実際には言っていないことを言ったと思わせるような記事の書き方をされているだけなので被害者とも言えるでしょう。
被害者なのに、炎上している。さすがに可哀想ですね。

ひとつ確実に言えるのは、ネットユーザーがぱっと記事を見た時に事実と異なる解釈をしてしまうような、悪意のある書き方をする記者が諸悪の根源ということです。
今回に限らず、何人もの芸能人が被害に遭っているはず。
僕のこのnoteを読んで、嶋佐さんの今回の炎上は悪意のある記事の書き方によって生み出された誤解によるものだと一人でも多くの方に知っていただけると幸いです。

さて本題に戻りますが、上記のような炎上を引き合いに出したのは他でもありません。
Twitterのフォロワーが2人しか居ないKING of 無名の僕が炎上する事など今のところないのですが、現実でお付き合いする人々は当然もっといる訳で。

"スポーツの大会"が行われた翌日には決まって「ワールドカップ観た?」などという会話をぶつけてくる人が居ます。
これはもう100%と言っていいほど必ず誰かがトークテーマにしてきやがります。
そしてその中には、「見てない」とか「興味ない」と返答すると「えぇ〜非国民〜!」と冗談交じりに罵ってくる方も居られます。パスポート見せよか?

炎上こそしないものの、"国民の大多数が興味を示し、時には心を一つにして応援するもの"という固定概念を持った一定数の方が、そうでない人に対して罵声を浴びせてくるという現実を僕は知っています。経験があるから。
タイトルにもある通りですが、「皆そうなんだから普通はそうだ」とか「常識でしょ、皆知ってるよ?」みたいな"多数派"=普通という風潮に昔から疑念を抱いており、今回の記事を書き始めました。

"多数派は正義なのか"という攻撃的なタイトルで書き始めましたが、すなわち"少数派は悪なのか"と言い換えることが出来ます。
嫌いなものを嫌いと言うことは悪なのでしょうか?
自分の好き嫌いを押し殺してでも多数派に合わせることが正義なのでしょうか?

ちなみに僕がスポーツを観ない・特に応援しない理由は、嫌いとかではなく本当に興味が無いからです。
学生時代はスポーツに打ち込んでいたし、ほんの小さな戦績を何年かに一度の自慢話として引き出しに仕舞っていたりします。なんなら今も定期的にスポーツやってます。
考えられる原因として、自分は幼少期にトラウマでもあったのか?というレベルで極端に損得勘定で行動する節があります。
共感は得られないかと思いますが、具体的にどう興味が無いのか考えてみました。

まず第一に、「スポーツを見る・応援する事で何か財産を得られるのか?いや、否。」という発想に至ります。病気ですねはい。
例えば、「今回のオリンピックで日本が金メダルを計5枚獲得したら消費税を5%に戻します」とか「2児の親でもある〇〇選手がMVPを取った暁には育児手当を一律〇〇円に引き上げます」とか、世界的な大会における日本の活躍によってそんなスペシャルかつ直接的な効果が国民にもたらされるのだとしたら、そりゃもうめちゃくちゃ応援すると思います。絶対有り得ないけど。

自分は政治とか景気にも興味が無いため、財政がどうとか株価がどうとかもよくわかりません。
だからもしかしたら知らないだけで、そういう大会における日本の活躍によって観光客が増えたり他国との親睦が深まって貿易の取引額にまで影響が及んだりした結果国民の生活が豊かになってる、というバタフライ効果的な何かはあるのかもしれません。

しかしそんな"かもしれない"のために他のやりたいことを保留したり睡眠時間を削ってまで応援したりという行動を起こす気にはなりません。
やはり時間を割いて応援するからには直接的な効果をもたらして欲しいというか、はっきり言えば"報酬"を求めてしまう自分の姿に気付きます。
…あれ?非国民じゃね?

では"財産"以外に何かメリットはないのか。
これはあると思います。思うというか、メリットと捉えるかどうかは人それぞれだとしても、観戦・応援をする事で"何か"が生まれる事は間違いなくあります。
真っ先に思い浮かぶのは当然コミュニケーション。
話題、会話の引き出しが生まれますよね。
「見ましたか+見てません=非国民だ」の公式が確実に消えるどころか、「見ましたか×見ました=ああだこうだ」の新公式が生まれます。素晴らしいですね。
あの攻めが凄かったとか、あの技が見事だったとか、どの選手が好きだとか。

コロナ禍の影響で密がどうだの屋内での会話がどうだのという騒ぎもあったため、身近にそんなコミュニケーションを取る機会が減ったり元々少なかったりする人も少なくないこんな時代ですが、そんな今となっては異性同性問わずマッチングアプリなんてもので人と繋がることも出来ます。
プロフィールの趣味にスポーツ観戦を入れてみたりサークルなんかに参加してみたりすれば、共通の趣味を持つ人と友達になったり恋人ができたり、中には結婚に至る場合もあるのだと思います。素敵ですよね。

結婚なんて話になると、ただスポーツが好きというだけではなくその人自身の人柄だとか収入だとかそういった現実的な部分も重要になってくるので趣旨が違うかもしれませんが、少なくともそういった結末を迎えるきっかけとなる可能性を秘めていることは否定できないと思います。
僕はスポーツに関してはそういうものを求めてないのでメリットに成り得ないのですが、ゲームとなればライングループに参加してみたりフレンド募集の掲示板にフレンドコードを貼ってみたりという経験があります。

いかんせん少数派なので書けば書くほど小さな可能性を絞り出すことしか出来なくなってくるのですが、もう一つ例え話を出すとすれば既に家庭を持っている場合でしょうか。
家族全員でスポーツを観戦するのが日常になっているとした時、そこに小さな子供が居ようものなら興味を持ってそのスポーツを習い事にし、中高と部活に励み晴れて日本選抜に抜擢!
数千万、一億もの大金を稼ぐように…なんて可能性も無くはないはずです。

終始例え話になってしまいましたが、病的な損得人間の僕にはそのくらいしか思いつきませんでした。
もしもこの記事を読まれている方の中に"日本を応援するべき"派の人がいらっしゃいましたら、是非とも「得」をご教授いただきたい。


では、スポーツ観戦の話はこのくらいにして"多数派が正義か"という点に重きを置いて、何か比較できるものがないか考えてみました。
前述したような「それが普通でしょ」理論に当てはまるかはわかりませんが、自論を展開してみます。

「オリンピック見てません」と言った際と同じくらいの頻度とテンションで驚かれるのは、「ワンピース読んでません」です。えぇ、いきなり漫画です。
ワンピースも今や日本を代表する国民的漫画・アニメとなっており、読んでない・見てないと言うと「面白いのに!有り得ない!」くらいの勢いで否定される事がほとんどです。
「うおぉ!俺も読んでない!良い奴だなお前!!おもしれェっ!!!仲間になれ!」…なんてことはまず起こりません。

これも僕の中ではスポーツと同じく、興味が無いから読んでません。でも嫌いではない。
なぜ興味が無いかというと…もしも読むメリットを上げるとしたら…と、スポーツの時と全く同じ理論に至ります。

幸い漫画やアニメなどの作品はゲーム化される事が多いので、ゲーマーの僕にとってはスポーツよりも触れる機会があります。
いわゆる、親しみやすさとでも言いましょうか。
そう考えてみたら、昔はウイニングイレブンやパワプロとかもやってました。
でも興味が無いものは無い、のです。悲しい哉。

ではここで、"非国民"の話を織り交ぜてみます。
漫画の起源とかはよく分かりませんが、個人的には現代において、「漫画といえば日本」だと思っています。
海外にもスパイダーマンやバットマンがいますし、映画化の前に漫画が何冊も売れていたのかもしれませんが、それはとりあえず置いといて続きを書かせてください。

日本には、物凄い数の漫画が存在していると思います。
その道でご飯を食べているプロの漫画家が手掛ける作品のみならず、上手い下手問わずTwitterに個人的な趣味くらいの気持ちで投稿している方々の作品が人気を博して単行本になったりアニメ化されたり、原作は小説だった物も同じように…と、次々と様々な作品が生み出されています。
スマホゲームから漫画化、アニメ化なんてのもありますよね。多分。

そうして人気になった漫画のキャラや名台詞がプリントされたTシャツを外国人の方が好んで着ていたり、海外のコスプレイヤーさんが日本の漫画キャラを模していたり、日本発のアニメが多国語に吹き替えられ各国で放映されていたり。
当然逆も然りとは思いますが、"日本発"の比率が圧倒的に多いのではないかと僕は感じています。
もはや、漫画は"日本の文化"レベルの発展を遂げているのではないかと。

しかし一方で、"オタク"という言葉があります。
今となっては広く様々なジャンルに使われている言葉かもしれませんが、元は漫画やアニメを愛する人達を揶揄して使われ始めた言葉だったと思います。
"アニメオタク"略して"アニオタ"なんて使われ方をし始めたのも大昔の話ではないはず。

漫画・アニメに関しては当時と今では時代や考え方が変わっているかもしれませんが、"日本の文化"としてスポーツと肩を並べた場合、誇るべきもの、肯定的であるべきもののはずでは?と、僕は考えました。
"国民が一体となって応援するべきだ"とされるスポーツ観戦において、興味が無い人・日本を応援しない人が否定され、その日本が誇るべき漫画やアニメを愛する人達が何故"オタク"だと揶揄されるのか…。

時系列が前後したため少しわかりにくくなりましたが、今や漫画・アニメはもはや日本の文化となり、名作を読んだことがない、見たことがないと言うと「もったいない」と否定的な意見を述べられることもしばしば。
一方で、何十種類もの漫画の単行本を全巻集めているだとか授業中にアニメキャラの落書きをしているだとかが判明するやいなや"オタク"だと揶揄される。
"多数派"であるはずの"誇るべき日本の文化"が、"オタク"という言葉のせいで"少数派"と紙一重になっている。

スポーツに置き換えた場合、その頻度は少ないのではないでしょうか。
選手の名前や直近のプレーなどに詳しければ詳しいほど盛り上がる。
「オタクだ」とからかわれたりいじめの原因になったりする可能性は、漫画やアニメに比べて極めて低いと思われます。

あくまで自論だと言うことを念押ししますが、スポーツ大会を観戦し「何故応援しない?」「何故知らない?」日本の誇るべき文化だぞ、という等式だと捉えた場合、同じ"多数派"なのに何故一方だけが揶揄される可能性が高いのだろう…と不思議に思いました。

もう一つ、軽めの比較対象を出すとするならば和食でしょうか。
味噌汁はもちろん、寿司、天ぷらなど日本が世界に誇る和食。
日本人には好きな人、つまり"多数派"が多いと思います。

仮にこれらを嫌いだと公言しているどこぞの毒舌芸人が「なくなればいいのに」と発言した、あるいはそう取れるネットニュースが出た場合、スポーツの時と同じような炎上が起こるでしょうか?
自分はそうは思いませんッ!!
嫌いなものを嫌いと言って、何が悪いのでしょう?
同じ"多数派""少数派"と分かれるものでも、ジャンルが違えば炎上したりしなかったりする(と思う)。


スポーツにしても文化にしても食べ物にしても、好きな物は好き、嫌いなものは嫌いと主張していいもの。
例えそれが存在そのものを否定するほどの嫌悪だとしても、周囲から奇異の目で見られるほどの溺愛だとしても、第三者に批判されるべきではないもの。
それが今回の主題でした。
わかりやすい例えが浮かばず知識も浅かったためかなりのこじつけになってしまった気はしますが…。

拙い文章を最後まで読んでくださった方がいらっしゃいましたら、感謝します。

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