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シュウマイも第7世代説

恥ずかしながら勝手に「シュウマイジャーナリスト」「研究家」と名乗り、全国のシュウマイを食べ歩いたり、シュウマイの歴史を調べたりしていると、「今のシュウマイのトレンド(流行)とは?」と聞かれることがよくありますが、逆にこれまでシュウマイのトレンドがあったかどうかも実は語られることがなかったと思われ、過去のトレンドの波を整理してみることで、今の本当のシュウマイのトレンドが見えてくるのではないか、と思いました。

そこで、取り急ぎ私の知りうる知識の範囲で(曖昧な部分は追記する形で加筆調整していこうと思います)日本の「シュウマイトレンド」を振り返り、今のお笑いブームにかこつけて「世代」で整理してみました。すると……なんと、現在のトレンドは「第7世代」にあることが判明しました。いや、無理やりではありません。私自身がびっくり。すごい偶然。その世代ごとのまとめ、賛否あるかもしれませんが、ひとまずご一読ください。

第1世代:シュウマイ初上陸

まさに幕末。開国とともに、多くの文化が日本に流入したように、中華料理を経由(起源ではない、と私は思っています)してきたシュウマイも、海外から訪れた瞬間があったはず、です。ただ、個人的にはこの辺の史実をきちんと突き詰められていません。噂によると明治期、それより前?と綴られている文献もあるといいます。ともあれ、今まで日本の食文化になかったところに突如現れた「新星」を、あえて「第一世代」としたいと思います。

第2世代:中華料理店の誕生とシュウマイ定着

日本最古の中華料理店と言われるのが、横浜中華街に今も存在する「聘珍楼」。これに続く、いわゆる日本の開国とともに開業した、中華料理店の創世記の名店には、メニューに必ずと言って良いほどシュウマイがのっています。崎陽軒のシュウマイ(正確にはシウマイ)も、横浜中華街の中華料理店の「先付け」シュウマイをアレンジし誕生したと言われています。

聘珍楼をはじめ、こうした中華の老舗のシュウマイは、大陸の文化が色濃く残った、本場感がひしひしと感じられるものが多いです。老舗に限らず、「シュウマイの王道味」を守る店のシュウマイを、私は「第2世代」としました。

第3世代:ジャパニズム・シュウマイの誕生

先の第2世代の本場感あふれるシュウマイを、日本人にも合うようにアレンジした、いわば「ジャパニズム」なシュウマイが誕生。その象徴と言えるのが、今日の日本のシュウマイのシンボルであり、日本の鉄道の中核地点である横浜駅内に構える弁当店として産声をあげた「崎陽軒」の「シウマイ」です。その人気とともに、一気にシュウマイという料理が、中華料理という枠を超え、日本中に普及し始めたと推測できます。

他には、東京の小洞天やセキネ、大阪の551蓬莱、佐賀の中央軒。これら「第3世代」の味を、今も変わらず体験できるのは、シュウマイ文化を知る上で非常に貴重です。

第4世代:町中華を中心に育まれた和シュウマイ

第2世代が誕生し、大陸の文化が色濃く残る中華料理店が日本各地で受け入れられ始める一方で、特に戦後の復興期、街には個人経営の中華料理店が生まれ始め、第2世代が日本料理と差別化しながら中華料理ブランドを確立したのに対し、こちらは日本の定食文化の一部に溶け込む、いわば「町中華」のなかで定着していったと言われています。

この町中華のなかで生まれた「ジャパニズム」は、中華料理の作る王道的豚肉シュウマイのスタイルを守りつつも、大きさも各店ごとにまちまちで、形や食感も個性豊か。しかも、ラーメンやチャーハン以上に、白いご飯に合う。第3世代よりも一層和テイストが色濃い、いわば「第4世代」の「和シュウマイ」です。

そして不思議と、このテイストは町中華だけでなく、居酒屋、定食屋、惣菜店など、和の飲食店でも育まれました(なかには洋食屋にも和なシュウマイが?)。王道スタイルを持ちつつも、多様性を持ち、その店の手作り感が感じられる味は、今も日本各地で味わうことができますが、後継者問題などで徐々に姿を消しつつあります。なんとかしなければ。

第5世代:グリンピースの由来?冷食シュウマイの普及

と、飲食店を中心に日本の食文化に溶け込んでいったシュウマイですが、1964年に行われた東京オリンピックにより急速に拡大した「冷凍食品」の技術がシュウマイに応用されることで、シュウマイ文化はさらに日本全国に拡大したようです。これを私は、食卓のシュウマイ普及を加速させた「第5世代」と位置付けました。

今でこそシュウマイのアイコンである「グリンピース」が乗った冷凍シュウマイが、ニチレイさんの手により誕生。これを皮切りに、各社が冷凍シュウマイをリリース、家でもシュウマイが気軽に食べれるようになり、お弁当を中心に「シュウマイ」が自宅の味として受け入れられていきます。

一方で、冷凍食品の普及拡大が、餃子に比べて家で作る文化で遅れをとったのでは?と、私は推測していますが、コロナ禍で気軽に家ごはんが見直されている今、再び存在感が増す予兆が感じられます。各社、頑張って欲しいです。

第6世代:地域食材を生かしたローカルシュウマイ

第5世代に至り、シュウマイという食文化を日本で知らない人はほとんどいなくなるなか、日本各地の観光地でもシュウマイの姿が見られ始めました。主に海産物を活用したお土産用のシュウマイですが、メーカーが本気を出さいないのか、ヒットといえるものはなかなか生まれず……そんななか、今や九州北部のお土産の定番のひとつになりつつある、佐賀県呼子の「イカシュウマイ」が登場。これを皮切りに、各地のメーカーも本気を出し始めてか、岩手の牛シュウマイ、宮城の牛タンシュウマイ、富山のイカスミシュウマイ、鳥取境港のかにとろシュウマイ…と、ローカルブランドの一翼を担うシュウマイ「第6世代」が各地で誕生。ただ、日本各地の美味はまだまだあり、ポテンシャルはあります。もっと出てこいや!ローカルシュウマイ、です。

第7世代:固定概念を打ち破る個性派シュウマイ誕生

とはいえ、日本全国でシュウマイが浸透したものの、シュウマイが人気グルメとして注目される機会は、ほとんどありませんでした。ただ、2010年ごろからか、飲食業界の優秀な作り手がシュウマイに注目するようになり、いわゆる「ニューカマー」と呼ばれる、今までの枠組にとらわれない、斬新な発想のシュウマイを提供する店が出現し始めました。まさにこれこそ、シュウマイ「第7世代」の台頭であります。

その皮切りとなった存在のひとつが、東京渋谷の旧「ミニヨン坂ノ上(現在:焼売酒場小川)」。元フレンチシェフの独創的な発想で、独自の配合で作られた豚シュウマイは、白ワインと合うという独創的世界。山椒をかける食べ方も斬新でした。その後、焼売酒場となった今、羊、鴨とジビエ焼売を生み出し、その世界を広げています。そしてもうひとつが「野田焼売店」。こちらは、蒸すだけでなく「焼き」「揚げ」「水」と新たな加熱法を生み出し、シュウマイの可能性を広げました。

この2店に追随するように、東京では超個性派といえる独創あふれるシュウマイを出す店が登場。特に新橋には「ナイスアイドル」「東京焼売マニア」、神田末広町の「焼売酒場オレンチ」は、そのトップリーダー的存在といえます。

また、東京以外でも続々と誕生。広島には火鍋とともに様々な蒸し料理がいい「サコイズキッチン」、徳島ではカフェ空間で味わうアレンジシュウマイを作り出す「totto79」、九州福岡には「お酒としゅうまい クリンチ」「焼売酒場いしい」、熊本には「シューマイボーイ」と、正直、私も関東以外は追いきれていません。

早くコロナ禍の影響を乗り越え、第7世代を開拓し尽くしたいです!

※写真は、「第7世代」でもかなり個性派と言える「焼売酒場オレンチ」のうにシュウマイ。金額も独創的!

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