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第26回 帰京

長徳3(997)年、28歳になった香子は、越前で正月を迎えました。退屈な越前での楽しみはやはり手紙でした。そんな中、再従兄の宣孝からもいろいろと手紙が来ます。越前にくる直前に周囲から結婚の話があり、宣孝はその気です。
宣孝は冗談が好きで、ふと手紙を開けると赤い点々があります。
「これは私の血の涙です。貴女に振り向いて貰えなくて」
など書いてあります。

京では東三条院詮子の病が重くなり、大赦として伊周・隆家への召還命令が出されます。何だか『源氏物語』での明石にいる光源氏への召還命令の場面を思い出しますね。
それから前年末に皇女を産んだ中宮定子が6月に参内を許されます。一度出家の形になっているので周囲から苦言があったようですが、一条天皇は大喜び。ただ内裏に入れる事は憚られたので、すぐ横の職御曹司(しきのみぞうし)に入り、天皇が夜になると通いました。自宅に籠っていた清少納言がこの時に戻ります。中宮定子から手紙が来て、その中には山吹の花びらが一枚だけ入っていて、裏に「いはでおもふぞ」と書いてあります。

これは「心には下ゆく水のわき返り 言はで思ふぞ言ふはまされりー口では言わないが激しく流れる水のように、強くあなたを思っていますよ」から取られたものです。才女同士の二人だから成る粋な話ですね。「職御曹司にて」という場面が『枕草子』によく出てきます。

8月には、摂関家の走狗となった河内源氏・源満仲が85歳で亡くなったという記録があります。これからしばらく満仲の子孫は摂関家の忠実な部下となります。

10月頃、香子は1年余りいた越前から単身(といってもお付きはいたでしょうが)帰京します(翌年春という説もあります)。退屈な越前に飽きたのか、京で何か帰らねばならぬ事があったのか。翌年、可愛がってくれた伯父為頼夫妻が亡くなるので体調が悪かったのでしょうか。祖母の動向も分かりません。とにかく香子は宣孝の待つ京へ帰ったのでした。

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