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第66回 チューブ・アロイズとフランスの降伏

チャーチルは「チューブ・アロイズ」という暗号名でイギリスの原爆開発を進めさせました。チューブ・アロイズというのは「管状合金」という意味で、原爆開発とは解らせない意図でした。
「原爆を先に造った方がこの戦争に勝つ!」
チャーチルは確信していました。
1940年6月10日、戦局の様子を見ていたイタリアは、ドイツが優勢なのを見て、ここで連合軍に宣戦しました。
「死人に宣戦するようなものだ」世界の人々は呆れました。

そして6月14日、ナチスの猛攻にフランスは降伏し、パリは占領されました。フランス内ではドイツに迎合するビシー政権(フランス南部のビシーに政府が移ったため)が成立しました。ただ、当時84歳の主席フィリップ・ペタンには今も賛否両論あって、ナチスに迎合したという意見と、押し付けられたもののフランスを焦土から救ったという意見があります。戦後死刑を宣告されましたが、第一次世界大戦での功労もあり減刑され、ユー島という所に流され、1951年、95歳で亡くなりました。

勝利者となったヒトラーは、第一次世界大戦の降伏の時に使われた軍用の車両をわざわざコンピエーニュの博物館から運ばせて、その中で調印文書を書かせました。
フランス国内では、レジスタンスが躍動し、あのフレデリック・ジョリオ=キュリーも妻子をイギリスに逃がし、レジスタンスの仲間に加わりました。(続く)

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