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第90回 オッペンハイマーとドイツ軍の後退。

※業務連絡 出版社からの連絡によりますと、拙著『原爆誕生と戦後』は今年の自費出版文学賞で約150人の応募者から50人に絞る一次選考は通過しましたが、更に10人に絞る最終選考には残れなかったという事です。なかなか難しいですね。これからもチャレンジはしたいと思います(笑)

さて、1941年10月中旬、ローレンスは原子力委員会の一員にオッペンハイマーを推薦しました。それは実力があるのに卑屈になっているオッペンハイマーの姿を見兼ねたものでした。しかし念を押すのも忘れませんでした。
「君は、もう組合活動をしてないだろうね」
冷静に相手を分析しようとするローレンスにオッペンハイマーは、
「もちろんだとも。今は研究の事しか頭にない」
と言い放ちました。そして今まで寄付をしてきた共産主義者たちとは完全に縁を切ろうと決意しました。

その年の11月初め、一つの奇跡が起こっていました。ナチスにやられっ放しのソ連軍に福音の奇跡が起こったのです。
その年、珍しく早い寒波が訪れ、ドイツ軍は雪に立ち往生し、今度は暖かくなると道路は融けた雪で泥沼になり、戦車が動かなくなりました。
そして12月になり、本格的な寒波が訪れ、極寒に慣れているシベリア兵にドイツは押され、次第に後退していったのです。日ソ中立条約のお陰でシベリアから兵を回す事ができたのでした。しかしこの情報を駐独大使の大島浩(ひろし)は楽観視して日本に報告しませんでした。(続く)

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