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第17回 香子24歳の時。

香子が24歳になった正暦4(993)年正月。14歳になった一条天皇は生母の東三条院詮子の元へ新年の挨拶の行幸に行きます。そして得意の横笛を披露します。笛が得意って『源氏物語』の柏木や薫みたいですね。
詮子は一日も早い皇子誕生を待ち望みますが、数えの14歳って今の12歳。小6か中1ですからもう少し先ですよね。

香子一家の方では、仲の良い伯父為頼が前年の12月に摂津守に任じられて旅立っていました。
道隆の野望はどんどん伸びて、東宮の18歳の居貞(おきさだ?いやさだ?)親王の元へ次女原子を入内させます。後年、血を吐いて亡くなるという悲しい運命が待っていますが。

その年は春の終わりからまた疱瘡が流行していました。京では定期的に疱瘡が流行していました。
為時は流行病を見て、香子に伯父の為頼の所に避難する事を提案してのではないかと思われます。この時、病身の姉も同行したかどうか分かりませんが拙著『源氏物語誕生』では自分たちが生まれた明石を見るためにも一緒に行ったという事にしました。

好奇心旺盛な香子の事、同じ摂津で、在原行平が隠棲したという須磨、そして自分たちが生まれたという播磨の明石にまで行った可能性はあります。行くといっても一応お姫様なので、輿や牛車での移動なので楽だったでしょう。布引の滝も見に行ったかもしれません。

かなり滞在してその年の内には帰ってきたでしょう。
閏10月には、亡き菅原道真に太政大臣を追贈しています。怨霊が病をおこしていると思っていたのでしょうね。
そして冬、ついに中宮定子の元へ清少納言が出仕します。定子18歳。清少納言は28歳でしょうか。冬ですから「香炉峰の雪」などの知識を早速披露して定子のサロンで機智を堪能していた事でしょう。
一条天皇が『史記』を勉強しているので、当時貴重な紙を清少納言にあげた時、天皇が『史記』-敷だから、枕にしましょう、と言ってちょっと性的な遊びで『枕草子』という名が付いたという説があります。このあたりの事も噂として香子の耳には入っていたでしょう。

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