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第4回 源光行について(2)

光行はその後も鎌倉幕府の御家人として仕え、平家の滅亡も見ます。やがて文才を買われて京の朝廷と行ったり来たりします。

男子ができ、その子も御家人となります。
光行は京で『源氏物語』の編纂にも加わります。

ところが後鳥羽上皇に仕えている内にそちらに味方しなければいけなくなったのか、承久の乱に上皇方として加わってしまいます。

多くの者が処刑される中、かつて父の助命を乞うた様に今度は息子が決死の覚悟で光行の助命を願い許されるのでした。

その後、父子二人で、『源氏物語』を編纂し、父子とも河内守をしていたので『河内本』と言われています。

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