見出し画像

第43回 道長からの出仕要請

清少納言の『枕草子』での筆誅の傷も少し癒えた秋、すごい話が香子の父為時に入りました。
香子を、中宮彰子付きの女房として出仕してほしいというのです。
もちろん香子が最近話題で人気の『源氏の物語』の作者であるという評判を聞いたからでした。当今(とうぎん)である一条天皇は大の文学好き。今は亡き皇后定子から薫陶を得ていました。そして定子には清少納言という才女の女房がいました。
このために、道長はかつて淡路守任官で落ち込んでいた為時に、すぐに大国である越前守に転進させるという貸しを作っていたのでした。

彰子に学問を教えてほしいが、宮中でも物語は自由に書いていいという内容でした。香子はもう外堀が埋まっている事を自覚し、承諾します。

準備をしていたその年の11月15日、内裏が燃え、東三条院が今内裏となりました。
寛弘2(1005:3年説も)年。その年の大晦日である12月29日、香子は父や娘賢子と別れて東三条院へ向かったのでした。(続く)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?