見出し画像

第30回 宣孝との結婚と長女誕生

単身帰京した香子(紫式部)は祖母や伯父為頼の死を見送り、長徳4(998)年の末、堤邸に宣孝を婿として迎えたようです。香子はもう29歳でした。
いろいろすったもんだがありました。結婚前に、香子は、宣孝が近江守の娘と懇ろになっているという噂を聞き、問い詰めました。
「いやあ、もうとっくに別れたよ」と宣孝はおどけて言いましたが、切れてない感じがします。『源氏物語』に頭中将の庶子でとても下品な女の子で「近江」というのが出てきますが、意図的でしょうか?

それから結婚直後に、香子は嫌な噂を聞きます。宣孝が香子からの手紙を別の女と何と閨(ねや)の中で品評していたというのです。
香子は当然激怒します。「貴方から頂いた手紙は全て返しますから、私が差し上げた手紙を全部返して下さい!」
「そなたの筆蹟(て)を褒めていただけではないか」と宣孝はほうほうの体で逃げますが、もうその頃は年が明けていたでしょうか、二人は仲直りをします。
それは香子が三十歳にして初めて懐妊したからでした。
長保元(999)年の秋ごろ、香子は女児ー賢子を産んだものと思われます。

その年は11月1日についに道長の娘彰子(12歳)が一条天皇(20歳)に入内した年でした。まさか終生仕える主人とは思っていなかったでしょう。
そして11月7日に中宮定子(23歳)は第一皇子・敦康親王を産みました。
12月1日には太皇太后・昌子内親王ー『源氏物語』藤壺のモデル?-が50歳で大江雅致(和泉式部の父)宅で亡くなりました。
道長が勢力を広げるのか、第一皇子の外伯父として伊周の勢力が復活するのか、世は混沌としていました。(続く)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?