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第25回 リーゼ・マイトナーの脱出(4)

1938年7月13日の朝、感涙するハーン夫妻と、早くにやってきたシュトラウスマンに見送られて、リーゼはロスバットという男に車で駅まで送って貰いました。けれど途中でリーゼは外国へ行く不安と、やはりドイツで好きな物理学をしていたいという気持ちから、
「戻って!戻って!!」と言いましたが、ロスバットはそのまま車を走らせ、駅に着きました。
リーゼは列車に乗り込み、コスターとは電車の中で落ち合いました。コスターは優しく言いました。
「本当はオランダにお迎えしたいのでしたが」「いいえ、有難うございます」そんな会話をしながら途中でひやっとする場面もありましたが、何とか国境を越え、とりあえずオランダのコスターの家に着きました。
しかしスウェーデンからのビザの許可はなかなか下りてきませんでした。リーゼは昼はコスターの研究所で、夜はコスター家の4人の子供たちと一緒にいましたが、心ここにあらずという感じでした。

ようやくビザが下りたという連絡が入り、7月28日、デンマークのコペンハーゲンに飛んでからスウェーデンを目指す事になりました。
空港までコスターは送ってくれ、200ギルダーをそっと渡してくれました。旅費以上の岡ねです。10マルクしか持って来れなかったリーゼは驚きました。コスターはまた笑顔で、
「今回の件で、僕はマイトナー教授誘拐で有名になりかもしれませんね」と茶目っ気たっぷりに言いました。リーゼは、
「もう元素ハフニウムの発見で有名ですわ」
と笑って言い、そしてコスターの男気に涙しました。(続く)

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