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第32回 九州の話ー「玉鬘」の下地

長保2(1000)年が明けました。1月の末、待ちわびていた宣孝が、九州の仕事を終えて京に帰ってきました。
「豊前(ぶぜん)などはどんな所でしたの?」
「そうじゃなあ。現地の豪族が幅をきかしていて、少し離れてはいたが、筑紫の大宰府の大監(だいげん)などに大蔵種材(たねき)という豪快な奴がいたよ」
香子は、将来書く「玉鬘」の下地となる九州の話に興味が湧いていました。
「伯父上や伯母上とはお会いになりまして?」
香子は尋ねました。親友で昨年亡くなった従姉の両親です。
「ああ、肥前まで足を延ばして会いに行った。もうじき任果てじゃから、幼いお孫様も連れて帰ってくるだろう」
従姉は娘を産んだという。香子は伯父一家の帰京を心待ちにしました。

物語の執筆は止まっていましたが、時折書いていました。そして鰯を焼いて食べると筆が進むのです。時には下女にさせずに自分で焼いていました。すると宣孝が目ざとく見つけていつもの様に冗談を言うのでした。
「才女は鰯がお好きなのですね」
香子があまり好意を抱いていない大江の女(後の和泉式部)も鰯が好きという噂でした。(続く)

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