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第68回 信頼の失墜

平治元(1159)年12月。内裏では、若い二条天皇の外叔父である経宗を中心に、信頼への不満がくすぶり始めていました。もとより共通の敵であった信西を倒してしまえば軽薄な信頼になど用はありません。
源義朝は論功行賞で播磨守に任じられました。保元の乱で平清盛にさらわれた官職です。義朝の愛妾・静は三人目の男子(牛若:後の義経)をこの年に産んでおり、男子は都合9名。我が世の春を感じていました。

経宗は秘かに清盛に使者を送って同調する旨を述べました。清盛はかねてよりの計画を使者ににこにことして言いました。
「まず主上を内裏よりお出しして、この六波羅にお連れして下され。何、近くで火事を起こしてその隙に主上を女装させれば大丈夫でございます。主上は華奢(きゃしゃ)ですから大丈夫でございます」
使者は安心した様に頷きました。そして清盛は、12月18日、女婿として迎えていた信頼の子、信親(のぶちか:5歳)をうまく理由をつけて丁重に送り返しました。しかし信頼は疑っていませんでした。

12月25日、経宗は信頼の叔父惟方(これかた)を恫喝して裏切らせ、清盛の計画通りに色白の二条天皇を女装させて、内裏でぼやを出してその間に警備の目をくぐって脱出に成功しました。その時、二条天皇の着物の下に、信西の未亡人で出家していた紀伊の尼が隠れていました。紀伊の尼の小柄は有名で、「小さい女房を絶対に外に出すな!」と常々命令されていたのです。

一方、後白河上皇も脱出に成功して、二人は別々に清盛が待つ六波羅邸に迎えられました。清盛は歓喜して家来たちに言いました。
「これで奴らは朝敵ぞ!」  (続く)

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