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第84回 近衛首相と山本五十六の試練

日本国内では、アメリカとの石油交渉が全く進展していない事に論議がなされていました。
「アメリカと戦って勝てる筈がない」
「しかし、こちらの得意な短期決戦で条約締結に持ち込めば、望みがないわけでない」
首相である近衛文麿は秘かに山本五十六を呼びました。

「はっきり言ってアメリカと戦えばどうなるか?」
「は、最初の1年は暴れてみせましょう。しかし長引けば、アメリカは日本の国民総生産の十倍以上を持つ国。勝ち目はございません」
アメリカに住んだ事もある山本の実直な感想でした。
「そうか」
近衛は決意しました。
中国本土から撤退してもよい旨を秘かに伝えようと思いました。日本を救うためでした。
近衛はローズベルトにその旨を正式に伝えるべく駐日大使グル―を通じてアラスカで日米会談する事を求めました。しかし撤退するという情報を探ったハルはローズベルトに助言し、用を作って決して会おうとせず、会談は流れ、近衛は渡米できませんでした。日本側にも近衛を行かせない、もし行ったら暗殺するという計画もあったそうです。
日本史の好きな近衛は豊臣氏滅亡の事を思い出しました。
「徳川家康は弁明しようとする豊臣の正式の使者とは会おうとせず、別の使者と会って混乱させた。ローズベルトもやはり狸(たぬき)か」

日本の将来を思い、その後も和平に尽力した近衛は戦後、思いもかけず戦犯として起訴される事を知り、54歳で服毒自殺したのでした。山本五十六は1943年4月18日、ブーゲンビル島上空でアメリカ軍に撃墜され、59歳で戦死していました。(続く)

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