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第34回 業平、東国へ(2)

業平一行は、官費なので路銀はたくさんあります。
三河から遠江、そして駿河に入って、「宇津(うつ)」の山道を登る事になりました。「うつ」と言えば、鬱を思い出したりしましたが、業平は「現(うつつ)」と連想した様です。
途中で見知った修行者に会いました。修行者は京へ帰る所だと言います。業平は歌を詠んで、安倍睦子殿へ渡して欲しいと頼みます。睦子なら高子に渡る可能性が高いです。高子はその時、染殿で軟禁状態でしたが。
「駿河なる宇津の山べのうつつにも 夢にも人にあはぬなりけり」-駿河の宇津の山のそばにいるが、現実にも夢にもあなたにお会いできないことよー
一行はまた涙しました。

「業平様は、面白い歌を詠むかと思えば悲しい歌も詠む。天賦の才でございますな」と言われると、業平は、
「いや、しかし最も大事な漢文の才はからきしないですよ」
と苦笑しました。当時、貴族の男性にとって、漢文は必須だったのです。

更に東へ進むと、名高い富士の山を一行は見ました。富士は噴煙を出していました。(実は翌年噴火して被害を出します。今でも休火山なのです)
「おお、あれが富士の山か」と一同は感激します。そして山頂には五月末(現在の六月末)だというのに、雪が白く降り積もっています。
一行は『万葉集』の山部赤人の
「田子の浦ゆうち出でて見れば 真白にぞふじの高嶺に雪は降りける」(百人一首と微妙に違います)
を思い出しました。「業平様、詠んで下され」とせがまれ、詠みました。
「時知らぬ山は富士の嶺(ね)いつとてか 鹿の子まだらに雪の降るらむ」-時節を知らぬ山は富士の嶺よ、一体、今がいつだという事で、鹿の子まだらに雪が降り積もるのであろうかー

一行は笑いながら、また東へ向かいました。(続く)

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