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第24回 香子、越前へ(2)

1月に越前への為時の赴任が決まりましたが、実際に現地に行ったのはだいぶ遅れて7月~9月くらいの様でした。何か事情があったと思いますが、こんなに遅れても大丈夫だったんですね。それと27歳の香子を連れていくか京に残すかで揉めていた様です。香子には再従兄の宣孝が求婚していたらしいですが、17歳上でしかも何人かの妻持ち。為時が宣孝に押し付けて厄介払いをする様な感じがして、香子は越前に付いて行く事を主張しました。

その頃、伊周と隆家への処遇も世の中を騒がせていました。伊周の宮中での会議の座はすでに取り払われていました。道長はじっくりと他の罪が出てくるのを待っている様でした。今でも何か不祥事があると、次から次へ出てくるのは定石です。
そして4月に、寺から訴えがあって、伊周が臣下が行なってはいけない「大元帥法(だいげんのほう」という呪術をやっていた。そして呪っていたのは何と国母・東三条院詮子だというのです。
詮子は伊周の関白就任を邪魔して道長にした叔母です。詮子の最近の体調が悪いのもこのせいだとされます。
「花山法皇を襲撃した。大元帥法をしていた。国母詮子を呪っていた」と三点も揃っては言い逃れはできません。
伊周は大宰権帥(ごんのそち)、隆家は出雲権守に左遷が決定します。しかし隆家は見つかったものの、伊周の姿は見えません。伊周は妹の中宮定子の住まう二条北宮に潜んでいましたが、検非違使が乱入しついに捕まります。5月1日、定子は抗議の意味で自ら髪を切ります。
伊周が護送される時はまた大変でした。母親の高階貴子が泣きながら後をずっと追っていったのです。結局伊周を播磨に、隆家を但馬にと、当初から近くに留め置く事になりました。
清少納言は、日頃、道長を称賛していたので、周囲から敵のスパイ扱いされ、実家に帰ります。

こんな中で、香子は為時と共に越前へ向かいます。途中で為時の新しい妻、妹らと香子は初めて面会します。異母妹ー顔は最近亡くなった姉に似ていても中身は違う。「宇治十帖」での大君と浮舟の対比を思い出させます。
香子と異母妹は不仲ではなかったけれど、それからもそんなに交際がなかった様です。
途中一行は琵琶湖を北上して、越前の国府(現在の武生)を目指します。
途中塩津の峠があって、人足たちが、「辛(から)き道かな」と言ってるのを聞いて、「塩と辛を掛けて面白い」と香子は思ったりします。やっぱり結局、下々の辛さを知らないお姫様だったのですね。(続く)

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