第63回 具平(ともひら)親王の死ー夕顔解禁!
4月に、和泉式部と赤染衛門が参入してから3か月後の7月、香子の再従兄弟でもある村上天皇の第7皇子、具平親王が46歳で亡くなりました。
「3月に、娘の隆姫と頼通様の婚礼があったばかりなのに」
あるいは自分の寿命を知っていて、娘に摂関家御曹司との婚礼を喜んで承諾してのではないかとも香子は思いました。
しかし同時に香子はある喜びに震えました。
「これで大顔様の事を物語で書ける!」
15年前の夏、具平親王は愛人大顔を伴って遍照寺にいました。そして夜中、父為時や従兄の伊祐が急遽呼び出されました。大顔が突然亡くなったというのです。
大顔は香子にとって伯母雅子の夫平維将の妹。義理の叔母に当ります。
頓死した大顔の遺体の処置を、親王はただおろおろするばかりで特に若い伊祐が中心となって処理したのでした。堤邸に一時連れて来られた大顔の簀巻きから黒髪が出て見えているのが衝撃的で香子はもちろんそれを『源氏の物語』にも書いています。
更に親王は大顔との男児を伊祐に押し付けました。その子も20歳ほそ。頼成という名前で成人しています。
さすがに具平親王が生きている間はこれを書いて迷惑が及ぶかも知れないと香子は躊躇していました。それに公表した時の具平親王からの苦情を香子は怖れていました。
しかし今は状況が違います。それに頼りになる左大臣道長は自分の味方です。
香子は、大顔改め夕顔としました。夕方に咲き、明け方には儚く萎む日陰の花。
更に夕顔には頭中将との間に3歳の娘がいるとしました。そしてその伏線のために男たちが雨の夜、女談義をする雨夜の品定めで告白させる事にしました。そのため新たに「帚木」という帖を作りました。
香子はその中で、頭の良すぎる女はもてない、という自嘲とも謙遜とも取れる下りを書いています。
更に夕顔の死後、娘は家来と共に九州に行き、また成人して帰ってくる事にしました。これは香子の親友でもある従姉が娘を九州で儲けた後亡くなり、その娘が京に帰ってきた事を踏まえたものでした。
和泉式部との事を忘れるためにも香子は「夕顔」の帖をわき目ふらずに書くのでした。(想像)
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