見出し画像

第55回 湯川病院

オッパンハイマ―と会ったカリフォルニア大で、湯川は1人のアジア系の学生を発見しました。聞いてみると日下(くさか)周一という日本人学生でした。(後に高名な物理学者となりますが、31歳で溺死)
大阪生まれという事で、妻の実家が大阪なので湯川はまた話が弾みました。日下は大阪生まれでしたが、5歳の時に医者の父が一家でカナダに移住し、日下はカリフォリニア大に入学してという事でした。

湯川は本姓は小川で東京生まれでしたが、1歳の時に父が京大教授になって京都育ちとなりました。そして自身も阪大、京大の教授になって、大阪胃腸病院(後の湯川病院)の婿養子となって湯川姓になったのでした。
2人の「日本人」が楽しそうに話すのを、遠目からオッペンハイマ―は興味深く見ていました。それから湯川はカリフォルニア大を去り、サンフランシスコから太平洋を船で日本に帰国したのでした。

ところで、亡き母がかつてよく、「お腹の事だったら、湯川へ行けよ」と言っていました。母自身もかつて大病を湯川病院で治して貰ったらしく、私は縁がなかったのですが、義兄が胃癌の手術をし、お蔭様で89歳の現在でも元気で釣りをして小遣い稼ぎをしています。また姪の二人もお世話になった様です。やはり医学というのは素晴らしいですね。(続く)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?