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日記、ニンジンのグラッセ

 ニンジンのグラッセがあまり好きではない。
 幼い頃から、野菜に甘味を添加したモノが嫌いだった。人より好き嫌いは少なかったと記憶しているが、ほうれん草のごま和えを思えば頬を伝う熱い感触が想起される。

 俺は1本100円弱のニンジンを、確かにグラッセにするために買い物かごに入れた。ハンバーグの付け合わせにしようと。たいして好きでもない、どちらかと言えば嫌い寄りなグラッセを作るために支払うこの金銭は一体。
これは己の人生に、「グラッセを作る自分」を登場させるための出演料。

 ニンジンを適当な長さにカットし、四等分にする。
皮は剥かない。1年ほど前からか、ニンジンの皮を剥くという行為を一切することがなくなった。たいした違いも分からないまま徒に可食部を減らすことに惜しさを感じる。
そして面取り。グラッセの味に魅力を感じていない自分にとって、まさにこの瞬間がグラッセ体験の"サビ"と言える。私はひどく不器用だが、何に縛られるでもなく黙々と角を落としていくこの時間には、不思議な心地よさを感じる。

 半分ほど面取りを終え、ふうと息を漏らすと左肩のこりに気付く。
未だ包丁で手を切ったことはないが、やはり指の付近に刃が近づく時には緊張を感じているようだ。自炊もそろそろ4年目に突入する頃だが、変に調子づかず初心を忘れていないのだなと得意げに左腕を数度回した。


 大きさも不揃い、面取りも甘いがこれで良いのだ。皮を剝かなかったがゆえに少々不格好な表面も、私の子として生を受けた証としてどこか誇らしげだ。端材はスープにでもしようか。

 鍋に我が子を放り投げ、バターと水、そして砂糖を入れる。
 ああ、砂糖を入れてしまった。
このまま単なるバター煮にした方が絶対美味しいのだが、グラッセの体を成すために、好みと離れるよう手を加えている。この不合理がたまらなく愛おしい。ニンジンに甘味を足すほど、私の人生には苦味が足され味わい深くなっていくのだ(どっ)

 しょーもないこと言ってたらグラッセもハンバーグも出来たので日記はここまでとなる。ここまで読んでくれた人が居たら、ありがとう。

終わり

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