景観の機微、そして懐かしさの消去

 昨年末から企画されていた大事な予定のために、久しぶりに品川駅で降りた。中央改札を出てすぐ目の前に広がる巨大なコンコースは、 僕の記憶の中の風景とそれほど大きな差異は見いだせなかったけれど、 少し歩いて港南口を出てみると、そこには記憶とは異質の街が広がっていた。

 品川駅を利用する機会が多かったのは高校時代だったから、特に駅東側は20年近くその街並みに触れていなかったように思う。この街の再開発は2000年前後から行われており、東海道新幹線も停車するようになると、 東京の南の玄関口として大きく発展を遂げている。1998年の品川インターシティ開業や2004年の品川グランドコモンズ開業といった大規模開発は、僕の知らない品川の街を形作っていた。

 しかし、良く考えてみると街の様変わりというのは、 突如訪れるものではない。街の風景は日々少しずつ、だけれども確実に変わっていくものだ。そこで生活をしていると、なんとなく変化に気づかないことはあるかもしれけれど、街の景観には必ず変化を伴う。例えば、近所の家が空き家になり、1か月後には取り壊されて駐車場になっていたり、あるいは駅前の大通りから一つ裏の路地では区画整理が進み、その3か月後には新築の戸建て住宅がいくつか建設されていたりする。

 「懐かしい風景」というものは人が作り出した幻想なのだと思う。そこにはただ微細な変化が、時間の経過と共に連続的存在するだけである。懐かしさとは、日々生み出されている変化に気づかないがために構成される情動の一種なのかもしれない。記憶の中にある「知っている街並み」と、目の前にある「現実の街並み」は少なからずギャップはあって、だからこそ厳密には一致しない。そういう意味では, 僕たちは常に知らない街を歩いている。

 医療をめぐる景色も日々様変わりしている。僕ら薬剤師を取り巻く現状も同様だ。その変化に埋没し 「ああ昔は良かったよね」と懐かしむことにあまり大きな意味はないのかもしれない。むしろ大事なのは懐かしさの中にある原点回帰的な思考ではなく、 変化を見据える眼差しであろう。


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