僕の脳の真ん中が小鳥ちゃんとつながっとる

朝、僕が目覚めたら、僕の脳が勝手に家の外の小鳥ちゃんとつながっとる……
こんな事あると思います?
自分の中に、未知の自分がいる、、仏像の中に体内仏が埋め込まれていたって感じの驚きで、少々ビビてしまう。

ワダッソに引っ越して2ヶ月が過ぎた6月のとある休日の朝。台所の窓越しに完全無欠な朝日が差し込んできます。台所の磨りガラスごときでは、6月の朝日を弱める事はできません。
1Kのワダッソで、台所の方に枕を置いて寝ている僕は、その時、朝の微睡の中にいました。
微睡の時間は、眠りをむさぼる至福の時間であるとともに、微睡の中で夢のつづきを楽しむ貴重な時間でもあったりします。
そんな至福で大切な微睡の時、僕の脳の深いところが、知らないうちに屋外の小鳥ちゃんと会話している感じがするのです。僕の脳も小鳥ちゃんも、とっても気持ちよさそうなのは、どういうこと?
僕抜きのこの不可思議な会話に、僕は、瞬で目覚めました。覚醒しました。
「僕の脳なのに? 僕が知らないのに? なんで?」と気づいて「はっ」なった。
脳と小鳥ちゃんはいつから繋がってたかわかりませんが、僕が気づいて覚醒するまでの間はコンマ0.1秒の出来事。
その瞬間、小鳥ちゃんも気づいてどこかへ飛んでちゃった。ということは、確信犯じゃないの? だから逃げるように飛んでいったんじゃないかな。
これは、いったいどう言うことか? よくわからないんだけど、僕なりに想像して解釈するとこうなる。
僕は眠っていた。僕という自我の部分は眠っていたと言うのが正しいのかも知れません。そしてその自我ってのは、どちらかと言うと脳の表面に近いと思われます。そこが眠っていても、もっと脳の中心に近い部分が目覚めている事があるのでしょう。脳の中心に近い部分は、僕という自我が眠っていたとしても、外側と交信できてしまう。
夢ならまだしも、脳が、僕に自分の外側と繋がってしてしまうとは、考えてもみなかった。

僕は、脳のことはよく知らないけれども、よく言われているのは、爬虫類などと同じ原始的な脳の上に積み重なるように新しい脳が積み重なって人間が思考できるまでになっている、ということをよく聞きます。つまり、脳のアップグレードが階層的に行われていると言うこと。その脳の使い方だけど、現代人は特に、より外側のアップグレードされた脳をハードワークさせとるんじゃないのか? って、思うんです。思考ばっかりに脳を使うから。それが正解と言わんばかりに。
でも、脳にはもっともっと可能性があるってことでしょう。
そしてさらに想像を膨らませると……
人間には、意識領域と無意識領域があると言いますね。その無意識領域って実は、いろんなものと共有された世界で、鳥たちとも共有されているとか思えちゃいます。
僕はワダッソに引っ越して、自然とより近くなり、脳に変化が起きているのかも知れません。
そう考えると、思考はざっくりとして来ていて、細かい部分が理解できない、しようとしていないなーとか、感覚を大切にしてきているなーとか感じます。ま、これって仕事の上ではかなりマイナスなんですけどね。

ということで、僕は感覚の世界の入り口にいるのかも知れません。これは、僕にとって、いいことなのか、悪いことなのか(少なくとも、現代的な思考を使った仕事をする上では、マイナスですけど)、この入り口から、その世界へ入ってみないことこには、わかりません。
でも、ここで怖気づいて、元に戻るのもつまんねー。せっかく道が開けたと思えるんだから、行ってみたらいいと思う。思いちがいも多々ある自分だけど、この感覚を大切にしてみようと思う。


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