見出し画像

初心者~底辺プロが集まるボクシングジムのリアル

・欲しいのは「得体のしれなさ」

私は近所のボクシングジムに通って早5年の30歳前半の男である。
大学4年生だった私はスポーツが盛んでインターハイやら甲子園やら行くような学校へ赴任することが決まっていた。特に目立った経歴もなく、体格がいいわけでもない自分はそこでは完全にナメられるタイプで間違いない。
「本当の強さは、外面ではなく、内面の強さ」だと元格闘家の須藤元気は言っていたが、それは外面が日本トップクラスだから言えることである。たいていの相手が腕力でどうにかなるから、腕力でどうにもならないものにリスペクトを持てるのである。
持たざるものはどうすればいい。まずは外面の強さが欲しい。外面の強さを身につけた後に「本当の強さは内面」だと言いたい。何をしようか。筋トレしても柔道部に勝てるはずはない。同じ土俵に上がってはいけない。そんな時に目に入ったのはボクシングジムだ。
 聞くところではレスリング部はあってもボクシング部はない。ボクシングさえすれば手軽に「得体のしれなさ」を手に入れられる。実際の強さは関係ないのだ。この学校にボクシング部はないのだから、実際にどれくらい強いのかを計る指標は奴らにはない。つまり、ボクシングに通えば勝ち。ボクシングに通いさえすれば生徒はこういう反応をするに違いない。
「あいつあんまりガタイよくないよな」
「でもあいつボクシングやってるらしいで」
「ヘ〜……」
これでいい。見事な抑止力だ。もう心はボクシングに完全に傾いていた。

家から5分のところにあるこのボクシングジムには世界戦も戦った会長、そしてトレーナー2名が所属し、初心者からプロ、学生から初老まで幅広く指導をしてくれる。みんな月謝を払っている会員だが、そこには「初心者」「中級」「底辺プロ」「中級プロ」の階層が存在し、カーストが形成されている。自分は程々でいいので週2日通う会員だ。

・初心者の友達はサンドバック


 このジムの全体の流れは初心者もプロも同じで、シャドウボクシング→トレーナー相手のミット打ち→サンドバック→縄跳び、腹筋などのトレーニングというものでそれぞれの練習の質、量はともに個人に任されている。初心者レベルの人は中高年や主婦層が多く、汗をかければいいという発想なのでトレーニング中もよくしゃべる。拳にはバンデージではなく分厚いサポーターをつける。彼ら彼女らにとってシャドウボクシングは辛い。余った脂肪、不格好な姿勢、遅い動き。その自分と3分間も向き合わなければならない。しゃべらないとやってられないだろう。つぎのミット打ちはもっと辛い。トレーナー主導で前後左右に揺さぶられ、ぎりぎり続けられるペースで打たされ続けることになる。彼ら彼女らは言葉を失い、笑うしかない。これをだいたい3ラウンド行ったあとはサンドバックである。サンドバックはいい。なぜなら、自分の姿を見なくていい、打てと強制されることもない、そして確かに打つ感触が体に残る。このときは初心者であってもボクサーになる。たしかに「その構えじゃ打たれ放題じゃないか」とツッコみを入れたくはなる。でも、彼ら彼女たちの日常においてこの瞬間こそがかけがえのない時間であるように思える。サンドバック。それは初心者をも無言で受け止めてくれる最高の友達なのである。
 体育大学を出たとはいえ、ケンカ経験はほぼなし。はじめは「サンドバックに殴られてんのか?」と思うほど力の伝わらなかったパンチは徐々に強くなり、中級者へとレベルアップしていく。


・中級者がプロ転向を拒む理由


 中級者は初心者とは違い、動けてスパーリングもできるがプロにはなれない、なろうとしていない人のことを指す。バンデージをしっかり巻き、グローブもレンタルでなく自前である。ちなみに私はこの層に所属している。シャドウボクシングも熱心に行い、構えに足の運び、ガードの高さなどなど基本的な動きを色んな組み合わせで行う。ミット打ちでは目つきは真剣そのもの。3ラウンド終わるころにはヘロヘロである。そしてサンドバックで気持ちよく打ちまくり、腹筋や縄跳びをして体を絞り上げて練習を終える……。それで満足するのが中級者特有のマインドである。ボクシングへの欲求はジムの練習ですべて完結している。プロにはならない。なぜなら「減量してまでボクシングしたくない」というのが率直な意見だ。私はボクシング→シャワー→ビールという最高のルーティーンを週2回味わえることに対して月謝を払っていると言ってもいい。やるからにはうまくなりたい、強くなってみたいと思うが、ジムを出るとボクシングのことは考えない。プロの世界は厳しいことは傍から見てすぐわかる。その一歩を踏み出した人を私は尊敬する。それを望まない人は中級者として今日も居酒屋に繰り出すのである。

・底辺プロボクサーのマウント


底辺プロボクサーとはプロになったもののなかなか勝てない人のことを指す。彼らは基本的にアウトローの気質をもち、塗装業や建築業といったいわゆる「現場」での仕事を終えて作業着のまま軽自動車か原付でやってくる。シャドウボクシング、ミット打ち、サンドバックとも中級者とはレベルが違う。早朝は走り込み、減量もしている彼らは生活がボクシング一色である。しかし、スパーリングを見ると何か足りない。踏み込み、パンチが浅い。スピードも目で追える。要は一瞬で懐に入り、打ち込んだ後すぐに安全圏に戻ることができないので底辺プロ同士の対戦は肉弾戦になる。本人たちもそれは自覚していて何とかしようともがいている。でも、うまくいくことは少ない。そしてその苛立ちの矛先はアマチュアに向けられる。彼らはプロでは大したことないがアマチュアよりは凄い。そこをジムでアピールしてくる。数が限られた道具を「プロを差し置いて使うのかよ」的なアピールをしてアマチュアが譲ってくれるのを待つ。こうした繰り返しで、アマチュアは18時〜20時の時間を避けて通うライフスタイルになっていく。21時ごろには、いつも「大して強くねーくせに偉そうに」という愚痴が聞こえてくる。でも、いいのだ。それが中級者の身分なのだ。

・中級プロボクサーは移籍してしまう結果


そんなジムでも凄いボクサーはいる。あきらかに動きのキレが違う。打って、離れて、様子を伺い、崩してまた打ち込むという、まさにボクシングができている。このレベルになるとサンドバックは喜んで譲り、3分見続けてしまう。「ああ、こんな感じで動けたら楽しいだろうな」と思わせる魅力がある。彼らの振る舞いはすごく静かだ。たんたんとやることを忠実に積み重ね、感覚を研ぎ澄ます。底辺プロのような暴れまくってる感じはない。そしてしばらくすると中級、上級プロばかりがいるジムへ移籍することになり静かにジムを去っていく。するとどうなるのか。その結果として、ジムで一番強い存在は底辺プロであり続けるのだ。
 初心者と中級者はライフスタイルとしてのボクシングを楽しみ、底辺プロは有り余るエネルギーをボクシングにぶつけ、ヤンキー特有のマウントをとりたい欲求を満たす場としてボクシングジムの日常はつづいていく。


あとがき

はじめは生徒にとっての抑止力として「得体のない強さ」を手に入れることを目的に始まったボクシングライフ。そこに待っていたのは、自分の距離感でボクシングと付き合う人達との交流だった。それぞれに、それぞれのスタンスがある。それを受け入れて、みんなに満足感を与える。このジムで学んだことは学校の授業で大いに役立っている。なぜならジムでのヒエラルキーの構造は、学校の授業の人間関係そのものだからだ。
運動嫌いは初心者、スポーツは好きだがそこまでうまくない層は中級者、部活してるが補欠組であったりスポーツ万能だが専門競技ではない層は底辺プロ、部活のエース級の中級プロと当てはめることができる。
授業でも一番声がでかいのは底辺プロにあたる連中だ。ハッスルしてるけどミスが多いので、叫び声でごまかすしかないから。うまくいかないことはそれ以外の人間が悪いと責任転嫁するために「しっかりやれよ」とか言い出す。おそらく彼らのせいでそのスポーツの印象は悪くなっていると思う。
自分の授業ではそれぞれのレベルに応じて満足感を得られるように、個人でおこなうものを増やしたり、通常ルールと特別ルール(バスケットボールであれば、リングに当たれば1点など)を用意して自分で選んだ方のゲームを行ったりしている。○○とはこうあるべきと押し付けるより、その競技を通じて気持ち良さを味わえばいいのだ。そう考えられるようになった。

ありがとう。ボクシングジム。


あとがき②

この文章は宇野常寛さんのオンラインサロン「PLANETS CLUB」でメンバーのエッセイを赤入れしてもらえる企画に応募するために書いたものだ。幸運にも赤入れしてもらえ、それを踏まえた上で書き直している。好きで尊敬している人に添削してもらえるって、この上ない贅沢な体験である。宇野常寛さん、並びにスタッフの皆さんにこの場を借りてお礼を言いたい。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?