自分から見た私と他者から見た私
ちょっとコラムっぽい文章が書いてみたくなったので、書いてみます。
大体にして、自己評価と他者からの評価が一致することなんて有り得ない。
何故なら、
自分は中からしか見られないし
他者は外からしか見られないから。
自分のことは自分が一番分からないと言われるのは
中からしか見られない故に、全体像を把握することはとても難しいから。
逆に外からしか見られない他者の方が客観的に見られるため、適切な比較が出来る場合も多い。
ただ、実際はその人のフィルタを通しての評価になるので多少の誤差はあるし、自分のことを好きか嫌いかによってかなり変化する。
どうしたって、嫌いな人に良い評価なんてつけたくないものだ。だって、何か悔しいから(笑)
もちろん、中にはその人の主観を考慮してそこを見積もった上でフラットな評価を出せる人もいるので客観的な意見を聞きたい場合はそういう人に聞くといい。
そして、聞く時は一人ではなく、複数人に聞くことをおすすめする。
一人の評価ではどうしても偏りが出るが、複数人に聞いていくことで平均を取ることが出来る。
この話の本題
敢えてここにだけ見出しをつけてみた。
先程取った平均値。
大抵の場合、あなた自身が見積もったものとはズレがあるし、自分では思いもよらない評価を受けることもあるだろう。
けれど、「それも紛れもない私自身」だと認めてしまう。
認めてしまうことで、自分一人では見えなかった「私」が見えてくる。
中には認めたくないものもあるでしょう。
特にそれが、あなたにとってとんでもない過大評価だとしたら。
認めたくない。
分かる。
だって、私もそうだから(笑)
ただ、これは覚えておいて欲しい。
「誰かが存在を認めた時点で、それは確かに存在している」のだということを。
つまり、
どれだけあなたが自分を卑下していようと
どれだけあなたが自分をろくでなしと思っていても
どれだけあなたが自分を愚かだと思っていても。
「他者」が「素晴らしいあなた」の存在を認めている時点で、そこに確かに存在しているのだ。
もちろん逆もまた然りなのだが、あなたを過小評価し軽視する人と同じ空間を共にする必要はない。
出来る限り距離をとる。
そして、あなた自身を大切に思ってくれ、フラットに見てくれる人との交流を密にする。
そうすることで、私やあなたの中の才能、素晴らしい部分が花開いていく。
と、ちょっとコラムっぽいことを書いてみたかっただけの文章を最後までお読み下さり、ありがとうございます。
こんな感じのコラムを少しずつ書いていけたらと思っていますので、また良かったら読んでくださいね。
それでは。
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