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ひとりぼっちの宇宙人─ウルトラセブン視聴記─ 人間牧場

ひとりぼっちの宇宙人 
─シューチョの『ウルトラセブン』視聴記─
第22話「人間牧場」[B]

第9話から本稿を始めて、[B]は初登場ですね。B類は「ダン=セブンの二重性という『ウルトラセブン』に固有の活性フィクションが、軽くではあれ何らか見出せる挿話群」です。

「人間牧場」とは、ハヤカワSF文庫にもありそうな挿話タイトルです。

本話を知らない人は「宇宙人が人間を捕らえて囲う牧場を作ろうとする話か…」と想像するのが普通でしょうが、これが違うんですね。「人間の女性の体内で、自分たちの食料となる作物を培養しようとする宇宙人が登場する話」です。つまり「人間が家畜として飼われてしまうか」ではなく「世界中の女性が“牧場”になってしまうのか」という危機。

ブラコ星人の食料である赤い胞子を体内に植えられ“牧場”にされかけているアンヌとその友人ルリコを救うには、土星にのみ存在する放射線α73を2人に照射する必要があるが、土星までホーク2号で丸3日、彼女らの命がもつのはこのままだとあと15時間…、というタイムリミットのアポリアとなります。

ブラコ星人円盤と交戦中というホーク1号の連絡を受けたキリヤマはダンにホーク3号での出動を命令、ダンは故意に墜落すると同時にセブンに変身。ホーク1号の隊員たちに向かってキリヤマは次のように言います。

「ウルトラセブンは土星へ行こうとしている。アンヌ隊員やルリコさんの奇病を治すためだ。直ちに援護しろ」
  
この台詞、「ダン=セブンの秘匿」との整合性がつかないと見ることもできます。この表層=台詞やシーン自体だけを根拠に、例えば「隊長は知っていた!」とかいう見出しでただ紹介すれば一定ウケるのかもしれませんが、そういう道は、“不活性”な仕方、つまりフィクションとの“不摂生”な付き合い方だといえます。
 
私は今のところこれを単純に「設定のほころび」と見ています。

でも、少し補って、キリヤマは「ウルトラセブンは[おそらく]土星へ行こうとして[くれて]いる[に違いない]」という意味で言ったのだということにすれば、「ダン=セブンの秘匿」は保たれているとの筋は一応通る、という見方もできます。「超人セブンのことだ、我々に何が必要なのかを何らかの方法で察してくれたのではないか」とキリヤマが推測した、ということです。

また、ホーク3号墜落後のダンの帰還が未確認である時点でのキリヤマの「なぁに、ダンのことだ。きっとどこかで生きていてくれるさ」との台詞も「ダン=セブンの秘匿」が破られている証拠と見ることもできなくはない。でもこれも、例えば、墜落したダンをセブンが救ってくれただろうと推測したに過ぎない、とも受け取れます。

隊員たちレギュラー登場人物は、キリヤマに限らず、ダンとセブンには何か関係があるのかも…という所までは考え至りえても、まさか「ダン自身がセブンである」とまでは想像がつかない

とするのは、さほど不自然ではないでしょう。少なくとも

目の前のダンがあの巨人─超人のセブンなのかもしれないという想像に及ぶ

というのと比べれば、不自然さはさほど変わらない、と言えるのではないでしょうか。我々視聴者が「キリヤマは知っていた?」とか疑えるのは、まさに我々が「ダンがセブンであることをすでに知っている」からであって、作品世界内の実際においては、「このダンがあのセブン?」ということはまったく思ってもみない、想像の選択肢にさえそうそう挙がるような項目ではなかろう、とする、ということです。

一方で、先に書いたように、この問題は「シナリオのほころび」とみなすのが最も妥当だろうと私は考えています。その上で、上記に示したように、ここでのキリヤマは少なくとも(以前にも書いた)『ウルトラマン』のイデほどは「秘匿の成立」を侵してはいない(笑)、とは言えるでしょう。かといって、本話のキリヤマ─ダン─セブンの関係について「ほころびだ」「一貫性を欠く」とただ断言決定することもできないのです。

確かに、本話や次の第23話「明日を捜せ」におけるダンとキリヤマの描かれ方を見ると「あるいはキリヤマは何か察していたのかも…」と想像したくなる感じが醸し出されている、とも受け取れます。問題は「キリヤマは知っていた」説が『セブン』全体のフィクションと整合/両立するかどうかです。そうはいかない、と私は今のところ考えていますが、その可能性自体を完全に否定することもできません。もし、上記のような表層のみの“不摂生”にはならない仕方でみごとにそのことが証明されれば、それは歓迎すべきかもしれません。

本話の目立つ特徴のもう一つは、映像の色彩でしょう。前半途中1分半ほど茶系のモノクロになります。また、後半途中では断続的に約4分間、カラーのままながらモニターの映像調整の色合いのつまみを片方の極に振りきったような、完全に緑がかった画面になります。胞子を植えられたアンヌとルリコの全身が緑と黒のネガのようになることと関連付けての表現だと思いますが、“人間牧場”のSF性・怪奇性を十分に感じさせるものになっています。

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