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ひとりぼっちの宇宙人─ウルトラセブン視聴記─ 第27・28話

ひとりぼっちの宇宙人 
─シューチョの『ウルトラセブン』視聴記─

第27話「サイボーグ作戦」[D]

まず、ダン=セブンの4つの側面について改めて少し説明しておきます。ダン=セブンが同一型であることは繰り返し書いてきました。が、ダン=セブンは、ダンとセブンという二つの姿をもつのであり、そこから必然的にダン≠セブンという異質性を同時に内包する存在となります。これを「ダン=セブンの二重性」と呼ぶことにします。『ウルトラセブン』全49話のうち半数以上の挿話において、ダン=セブンの二重性の表出とみなせる場面がみられるのです。

ダン=セブンの二重性には、4つの側面があります。単純なことでして、「外見=姿」と「中身=心や思考」のそれぞれにダン性とセブン性を持つので2×2=4通りというわけです。外見はダンの姿をとりながら中身はセブンとして思考し行動する彼の在り方を《ダンのセブン性》、外見はセブンだが中身はダンであるとみなせるような在り方を《セブンのダン性》、外見と中身とが一致している在り方をそれぞれ《ダンのダン性》《セブンのセブン性》と呼ぶことにしています。

このうち《ダンのダン性》《セブンのセブン性》の2つは、それぞれ(ダンがいる時の)本編シーンと(セブンへの変身後の)特撮シーンのすべてに自明に表出されますが、あるシーンについて、「ダンがいる」「セブンが登場している」というだけでない何らかの活性フィクションを帯びる、という場合があり、それらが重要です。

本話では、ダン=セブンの4つの側面のうち《ダンのセブン性》《ダンのダン性》《セブンのセブン性》の3つが表出されます。

ボーグ星人によって「サイボーグ化」され「催眠プレート」を脳に仕込まれ操られたノガワ隊員が基地に戻ったとき、その様子を見たダンは「あいつ,まるで死人のようだ。」と一人その異変に気付き、後を追います。ここは《ダンのセブン性》。

ボーグ星人に向かって「プレート弾の残りの1個はどこにあるのだ」と問い質すセブンには《セブンのセブン性》が表出されます。セブンが言葉を発するときにはつねに自ずとそうなります。

これらの表出は短く軽快で、「湖のひみつ」「マックス号応答せよ」などの初期クールを彷彿とさせます。

(時系列前後しますが)後輩のノガワが行方不明となって神妙な表情になっているソガを気遣い「ソガ隊員,何か手がかりがつかめるかもしれませんよ。」と声をかけるダンの台詞には《ダンのダン性》が表れています。

また、ダンがノガワと取っ組み合うもボコボコにやられてのびてしまうというシーンには、サイボーグ・ノガワの強さ/不気味さが十分に出ていると同時に、「ダンはあくまでダンであってセブン本来の力まではない」ということが表れているとも考えられ、これも《ダンのダン性》の表出の1つといってよいでしょう。

特撮では、セブンがいったん崖の途中まで転落し、プレート弾のタイムアウトを交え進退窮まるシーンは本話の[D]類(注)ぶりを顕著に示していて、アイアンロックスの鎖攻めと類似し、「子どもの昔」から記憶に残っています。

注:[D]類とは「セブンらしい娯楽的ファイト」の挿話群を指します。娯楽的というのは、ジュブナイル性が濃い、子どもの記憶に残りやすいということです。ボーグ星人とセブンの崖の上のファイトを遠目に映すシーンなどに典型的に表れています。それと同時に、「ウルトラセブンらしい」、つまり『ウルトラセブン』ならではの活性フィクションがA類のように深く重く出るのではなく、これらまでもが短く軽快に表れるのがD類です。


第28話「700キロを突っ走れ」[C]

「V3から来た男」「明日を捜せ」「北へ還れ」に続く、C類=「登場人物についての挿話群」に属する本話は、アマギのエピソードです。

「空間X脱出」では、パラシュートの訓練では飛び降りるのを怖がって脂汗をかいていたアマギ。「デスクワークは得意だが実戦向きでなく弱っちい」のかと思いきや、擬似空間に迷い込んでからは、逆に、怯えるソガに携帯食料を渡して元気付けるという逞しい一面も見せていました。そして本話では、幼少時に近くの花火工場爆発の恐怖を体験したという過去が綴られます。

作品世界全体を通じて、例えばアマギもこのように、アマギという人がああでもありこうでもある、ということが自然に描かれるのです。それこそがアマギ隊員、あるいは演出だけでなく演じ手の特徴としても“アマギの古谷敏性”として表出される。古谷であってこそ滲み出るアマギの人格ということです。わかりやすい“キャラ固定”とかとは真逆のあり方。その一環として本話のような焦点化されたエピソードが生まれています。

一方で、本話には見過ごせない大きなほころびも見てとれます。

キル星人の遠隔操作によってラリー車を空中に運ばれ、車内にアマギと二人きりになったダンは、咄嗟に変身しようと内ポケットに手を当てるも、やめます。《ダン=セブンの秘匿性》です。しかし、そのときのモノローグ

「…だめだ、アマギ隊員がいる。ウルトラセブンにもなれない」

は、どうみてもおかしいですね。同一型のダン=セブンにとっては、普段のダンの姿の方が「ダンになっている」のであり、彼がセブンに変身するのは彼自身にとっては「セブンになる」ということではなく「臨時的に元の自分(の姿)に戻る」ことを意味します。「ウルトラセブンに」「なれない」という言葉は、彼がモノローグで自分の心の声として発するのにはあまりにも不自然に過ぎます。ここは

(1) 「…だめだ、アマギ隊員がいる…」
(2) 「…だめだ、アマギ隊員がいる。変身はできない。」

などとすべきでした。(1) で十分だと思いますが、もし説明的台詞にしたいなら(2) でしょう。せっかく、同一型の主人公の台詞としてもフラットな意味合いを保てる便利な「変身(する)」という語句があるのに、ここで使わないでいつ使う?という惜しさがあります…。

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