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ひとりぼっちの宇宙人─ウルトラセブン視聴記─ プロジェクト・ブルー

ひとりぼっちの宇宙人 
─シューチョの『ウルトラセブン』視聴記─
第19話「プロジェクト・ブルー」[D]

本挿話の面白さについて、今回の再視聴で改めていくつか再確認や発見をすることができました。
 
以前、「声の一致(不一致)」について書きましたが、自称「宇宙の帝王」バド星人の声はその姿に実に似つかわしいと思います。本話の前半は、そのバド星人の怖さに振ったホラー的演出が為されます。
 
けれども、後半は軽快な特撮へと転換。バド星人は、丘をロープに見立て横臥したセブンに飛びかかりかぶさろうとしたり、トゲトゲのメリケンサックでセブンの目を突いたり、セブンと細身の人間態同士としてスピーディーでプロレス的な格闘を繰り広げます。メインの相手が怪獣ではなく星人である『ウルトラセブン』らしい展開。宇宙の帝王、意外に弱く(笑)、セブンに投げ飛ばされて呆気なくのびてしまいます。光線なし、アイ・スラッガーなし。直前にも、ウルトラセブンが来た(やばい)…と逃げ腰に呟いていましたしね。
 
バド星人を倒し、アンヌと宮部夫人のいる所へ宮部博士を連れてテレポートし、普通の一軒家の屋内の部屋や階段を等身大で動き回るセブン。その振る舞いは、特に“平成3部作”以降“光の巨人”という「大きな総称」を与えられた“ウルトラマンの現在”からすれば、図らずも“はずし”が効いていて、何だか“ウルトラセブンの自由”のようなものが感じられます(微笑)。
 
この後、本話ならではの、上述の格闘シーンとは異なる意味での軽妙な特撮や、活性フィクションの希少例が表れます。
 
アンヌ「ウルトラセブン、ダンがいないのよ」
 
「ダン=セブンの二重性」が表出する一言。
 
上のアンヌには答えず、バド星人の爆弾を地球外へ運び出すため鏡の中に入っていくセブン。このシーン、セブンを追って同じ鏡に向かうアンヌの後ろ姿とその鏡に映るアンヌの正面の姿と鏡の世界の中にだけいるセブンの姿が同時に映るカットが一瞬だけあります(写真参照)。その直後、鏡にぶつかる(鏡に映った自分と正面衝突する)アンヌのカットに変わります。不思議な映像…ですが、ちょっと考えればすぐにわかる実に素朴なトリックですね。こういう“小さな特撮”も楽しい。
 
アンヌ「そうだ、ダンが帰ってきてないわ」
 
そこへ現れるダン。
 
アンヌ「ダン!びっくりするじゃないの」
ダン「山の方へ逃げた宇宙人をやっつけてきたよ。(自分のビデオシーバーを開け)ダンより本部へ、ダンより本部へ」
キリヤマ「キリヤマだ」
ダン「宇宙人は全滅、宮部博士は無事に助け出しました」
アンヌ「(ダンの左腕に寄ってきて彼のビデオシーバーに向かって)ぜんぶウルトラセブンの働きです(笑)!」
ダン「こいつぅ!」
キリヤマ「なに?ハッハ…、なにが「こいつ」だ!」
(通信先の様子を伺い知り微笑みつつ怒ってみせるキリヤマ。いけねぇと肩をすぼめるダン。)
 
本話のこのシーン、隊員たちが笑い合うというよくあるエンディングながら、けっして単なるマンネリではなく、『セブン』ならではの活性フィクションが実にウィットの効いた形で味わえます。
 
毎度ながら、わかっている人にはくど過ぎて、気にかけない人には細か過ぎるだけ?の話になりますが、よろしければおつきあいを。
 
最後に「こいつぅ!」と言うときのダンの台詞や表情は、M78星雲のスマートな超人セブンのものではなく、ダン自身のキャラクターの表れです。お茶目というかユーモラスというか、ダンのこのような言動は頻繁にではないものの他の挿話にも表れ、例えば第1クールでは…「ダーク・ゾーン」のラストや「消された時間」でユシマ博士について話すシーン…等がすぐに浮かびます。この手のユーモアは、ダンに限らず他の隊員たちにもよく見られるもので(『ウルトラマン』の科学特捜隊と比べればそのテイストはやや抑えられてはいる印象ながら)、ウルトラ警備隊という存在の堅苦しさを和らげる効果を持ちます。この観点からは、まずは、ウルトラ警備隊の一員である人間としてのモロボシ・ダンの「ダンのダン性」の表出といえます。
 
そして、それだけではないところが面白いのです。
 
本話のこのシーンでのダンは「宇宙人をやっつけてきた」のも「宮部博士」を「無事に助け出し」たのも、何のごまかしもせずすべて“ほんとうのこと”を言っています。ただしどちらも実はセブンとしての行動です。
 
他方、セブンが宮部博士を助け出し連れて来たのを目の前で見て知っているアンヌは、例えば「ダンったら、山へ逃げた宇宙人をやっつけたのかは知らないけど博士を助けたことまで自分の手柄にして“盛って”はダメよ」と思ったのか、すべては「セブンの働き」とおどけて隊長に報告。つまり、実は(自分の知りえた事実よりも)“盛って”いるのはアンヌの方ですね。
 
『ウルトラセブン』において「ダンがセブンであること」は他の登場人物には秘密です。一般には例えば「秘密について主人公の口がすべって相手に気づかれかけ、焦ってごまかす(そこで、せいぜい何か気の利いた台詞が言われるetc.)」という展開が、こういう「主人公の秘密」という要素の作中での表出としてはありがちです。これは「フィクションの不活性表出」の代表例です(注1)。それに対し、本話では作中の人物たち自身にそういう“つっかえ”は何もありません。ダンの「助け出した」という能動表現も、アンヌには“つっかえ”とはならないどころか「“盛って”はダメよ」という反応になっています。つまり、これほどに明白なやりとりにもかかわらず、アンヌにはダンが「主人公の秘密」を持つなどとはまったく想像もつかず、発言後のダンには自分の秘密の暴露をごまかす必要はまったくない上に、むしろ「僕は本当のことを報告してるのに嘘ついたみたいに言うな(注2)」とツッコミ返している…。この典型的エンディングを作る何でもない会話の中に咲く、小さく明るく確かな“活性フィクションのタンポポの花”です(注3)。それも、普段はシリアスな「ダンのセブン性」がユーモラスな形で笑顔とともに表出される、珍しい例だといえます。
 
 
注1…「秘密」が顕在化しそうになって「焦ってごまかす」…といったシナリオ展開は、「秘密」を目的語とする「明かす」(「守る」でも同様)という動詞から発想された直結的直接的展開です。そこでの「気の利いた台詞etc.」の質/度合いによってそれが何らかの意味で良いシーンとなる可能性までは否定しませんが、少なくとも「主人公の秘密」が「どんなものであるのか」という固有性とは無関係で、単に秘密でさえあればそれだけで成り立ちえる展開であるといえます。フィクションとして「固有でない分だけ、活性に乏しい」と捉えます(注3参照)。
 
注2…このカギカッコ内がダンの内面についての最もストレートな説明でしょう。が、(本稿ではこれ以上の言及は控えますが)他の説明も可能でしょう。
 
注3…本話のダンとアンヌのやりとりは、注1に書いた不活性フィクションの一般的特徴とは反対の特徴を有しています。第一に、このシーンでは「秘密」が顕在化することも顕在化しそうになることも終始まったく無いままでありながら、秘密を知る視聴者鑑賞者の我々には、まさにその秘密あってこその面白味がこうして届きます。第二に、その面白さは、秘密が単に秘密であるということだけでは成り立ちえず、それが具体的に「ダンがセブンである」という内容の秘密であるからこそ成り立つ、という本作だけの固有の意味を持つ面白さとなっているのです。このように個々の作品世界に固有なフィクションを「活性フィクション」と私は呼んでいます。

↓『ファンタスティックコレクションNo.9 SFヒーローのすばらしき世界 ウルトラセブン フィルムストーリーブック』(池田憲章・岸川靖、朝日ソノラマ、1979年)所収、64頁

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