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ひとりぼっちの宇宙人─ウルトラセブン視聴記─ コラム(2) 声の一致/不一致

ひとりぼっちの宇宙人
─ウルトラセブン視聴記─
コラム(2) 声の一致/不一致

「闇に光る目」で書いた「声の一致」について、リアルタイム視聴時から子ども心に納得できなかった「不一致」の方の例がすぐに2つ浮かびます。

一つは『人造人間キカイダー』のハカイダー。飯塚昭三氏の低く凄みのある声は、ハカイダーに実に似つかわしいと思います。が、問題は、ハカイダーにはサブローという変身前(後?)のキャラクターがいるのに、ハカイダーの声とサブローの声とがまるで異なるということです。サブローは存在感が薄かったし(苦笑)、ならばいっそサブローへの変身無しの「飯塚ハカイダー」のままで通した方がよかったのではないかとも思います。

もう一つはウルトラマンエース。こちらはヒーロー自身(の意匠)とその声との“不一致”の例です。エースは不同型ですから北斗や南とは違う声でいい(違わないと逆におかしい)んですが…、ウルトラ5番目の弟って(当時)一番若いはずなのに、最も年長の偉そうなおっさんに聞こえます。画期的ともいえる男女合体変身、顔や耳元が仏像(観音?)をモチーフとする優しい意匠。どちらの特徴も子ども心に大好きでした。ところがその声が、どう聞いてもそんなエースには似つかわしくない声…。第1話からいきなり首を傾げてしまいました。ここで、「ショッカー首領と同じ!納谷悟朗氏の声だし…」というツッコミも成り立ちそうですが、当時の私はそのことには気づいていませんでしたので、私が感じたのは、「悪者と同じなんて…」ということではなくてあくまで「あの姿のエースがこの声?…」という直の違和感です。

しかも最終話「明日のエースは君だ!」ではその声でいきなり説教めいた言葉を発します(→注1)。本放映視聴時小学2年生だった私は、大きな違和感が拭えないまま画面を呆然と見つめたことを今でも覚えています。違和感が残ったのは、内容が唐突に感じられたから(→注1)ということに加え、もともと「顔と一致しない声」と感じていたその声にそう言われたから、ということも大きかったと思います。大人のどんな「良き言葉」も子どもに何だか粗雑だなと思われてしまったらもう届かないんだ、と子どもながらに子ども自身で学びました(笑)。せめて同じ台詞を北斗星司が言ってくれていたら当時の自分も素直に聞けて、それなりに響いたのではないか…と今にして思います(→注2)。

エースの声、例えばむしろ女性の声であってもよかったのではないかとさえ…、と、これは当時の自分ではなく現在の私がふと思ったことですが。今なら、天海祐希さんとか、あるいはそう!ジャスティスの吹石一恵さんとか。

===注1===
「優しさを失わないでくれ。 弱い者をいたわり、互いに助けあい、どこの国の人たちとも友だちになろうとする気持ちを失わないでくれ。たとえその気持ちが何百回裏切られようと。 それが、私の最後の願いだ。」

今や、“ウルトラマンの名言”として第一に挙がるような有名な台詞ですが…、当時のリアルタイムには上記のように感じた“現役の子ども”もいたということは言っておきたいところです。もちろん、内容自体はすばらしいと思っています。だからこそ声の違和感がよけいに残念…ということです。
 
ただ、大人の自分から少しフォローもしておきますと、このエースの最後の言葉は、最終話のそれまでのストーリーに沿って出されたもので、実は内容的には唐突なものではありませんね。でも、当時の私は幼過ぎたのか、そのようにつなげて読み取ることはできていなかった…。あるいは、ある程度読み取れていながらも、声の不一致による違和感の方が印象が強く、そちらの記憶だけが残ったのかもしれません。

===注2=== 
「北斗星司が言ってくれていたら…」には嬉しい“後日談”(『ウルトラマンメビウス』)もありますね。

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