ニートで引きこもりな友人を社会復帰させるにはどうしたらいいのか?
どうも社会人ブロガーのしゅうじん(@syu__zin)です!
突然ですが、僕には小学校からの友達で同じ関東に上京した友人がいます。
しかし、彼は世間一般の人とは少し違う生活をしています。
それは、引きこもりです。
引きこもりは現代社会の問題です。
話は逸れてしまいましたが、これから話す内容は、プライバシーを考えて少しだけフィクションをいれて書きますが、ほとんど事実を書いていきます。
■引きこもりになった友人との出会い
僕が引きこもりになってしまった友人と出会ったのは転校した先の小学校でした。
最初の印象は、誰とも気軽に話を合わせる事が出来る器用な人だなーと思いました。
小学校の頃は、二人で遊んだりお互いの家に行ったりするぐらいの仲で、友人も多くいたと思います。
性格は、特に熱くなることもなく、大人しいという言葉よりも落ち着いている性格でした。
ですが、笑う時は笑うような人です。
小学校を卒業してからも中学校が同じだったこともあり、小学校と変わらない関係で仲良く接していました。
ここまでで、友人が引きこもりになるだろうという要素は一切ありませんでした。
友人は僕と違い頭が良かったので、中学校を卒業した後は別々の高校に進学することに。
それからも年に数回は会っていましたが、特に変わったこともありませんでした。
それから高校を卒業し、友人は関東の大学に進学。
僕は2年遅れで東京の専門学校に進学の為に上京しました。
再び上京先で再開することに
お互いに上京している事もあり、連絡を取り合い一緒に遊びに行ったり飲みに行ったりするようになりました。
頻繁にではありませんが、年に3回程は共通の地元の友達と一緒に会ったりしていました。
大学では特に仲の良い友人は出来ないと言っていましたが、内面的な部分で問題など抱えているように見えませんでした。
それから季節は過ぎ、友人は大学卒業を迎える年になりました。
■大学卒業という決められたレールが消えた
大学を卒業した友人は、特にやりたい事がないことから、どこにも就職することなく就職浪人することに。
しゅうじん:「仕事とかどうするの?やりたい業種とかあるー?」
友人:「んー。特にないなぁ。」
しゅうじん:「そっかー。じゃあこれからどうすんの?」
友人:「んー。分からん!とりあえずなんか仕事探さないとなー。」
先の見えないような回答でその時は終わりました。
この時の僕はすでに就職しており、友人も遅かれ早かれ就職するんだろうなーと、深くは考えていませんでした。
上京してから、全て親からの仕送りで生活していた友人には、お金の面で緊急性の高い悩みではなかったのかもしれない。
僕の場合は学費から生活費まですべて自己負担だった為、お金を稼げない=死という関係性から、希望の会社に採用されませんでしたが就職することにしました。
大学卒業から1年経過
気付けば大学を卒業してから1年の時間が過ぎました。
友人はどうなったのか。
結果は卒業後と変わらず就職することなく、1年を過ごしていました。
その期間、バイトをすることもなく全て親の仕送りで生活をしていた。
履歴書を送った。面接をしたなどという事も聞かなかった。
当時はニートだなぁ~!笑。
こんな冗談も言えました。
しかし、2年後。3年後も友人は変わらず働くこともせず、必要最低限度の食材や日用品の買い出しをする以外、家から出ることは無くなりました。
次第に以前から付き合いのあった地元の友人達も距離を置くようになっていました。
僕はというと、割と家が近いという事もあり年に3回ほど友人の家に行き、友人の現状についてグダグダ言う事もせず、最近あったことや、共通の話題などを話していました。
僕も内心では、「仕事しなくていいのか?」という気持ちがありました。
しかし、これは友人の問題であり、僕が口出しすることでもない。
冷たいように思うけど、僕が言う前に友人の親がきっと色々と口を出していると思ったからだ。
だけど、友人がこのままでいい訳がないとも思う。
■ニートの友人にハローワークを提案
季節は年末。
都内はコートを羽織ってても防げない寒さが世の中の厳しさを教えてくれているようにも思えた。
丁度仕事で色々あり、学校を卒業してから務めていた会社を辞めようと思っていた僕にはより辛い寒さに感じました。
新年を迎えるにあたって、今が一番行動したくなる時だよな・・・
そんなことを思った時、思い浮かんだのはニートの友人だった。
僕は彼に連絡した。
しゅうじん:「新年も明けるから、仕事変えようと思う!年明けに一緒にハローワークでも行かない?」
友人:「んー。俺はいいや」
しゅうじん:「そっかー!わかったよ!」
友人:「おっ!」
友人が一歩を踏み出せるきっかけになればいいかなーと、勝手に抱いた希望でしたが、あっけなく消えてなくなりました。
自分が何様のつもりだと思うかもしれないが、僕のしたお節介は彼には届きませんでした。
この件で、僕は友人を変える為に手を差し伸べる事は止めようと思いました。
しかし、これも全くもって大きなお世話なのかもしれない。
ただ、この世界で生きるには、今の彼の過ごし方では絶対にハッピーエンドにはなれない事は、誰の目から見ても分かりきっていることだった。
友人として変わってほしいと心から思っていたからこそ、今回の件は心に来ました。
■引きこもりは悪い事なのか?
多くの方はなりたくて引きこもりをしている訳ではないと思います。
また、引きこもりをしている人について、一般の人から見てみると外に出て仕事をして自立出来ていない生活を送っているのは可笑しいかと感じるかもしれません。
多くの方は自分一人が生きる為。養う家族の為に辛くても働いています。
それが、この世界では普通とされています。
僕もこの世界に生まれて、生きていく為には働いてお金を稼ぐ事が当たり前だと思っています。
しかし、引きこもりの多くは自分以外の誰かの力で生きています。
僕の友人は大学を卒業してからずっと働いていません。
親からの仕送りで命を繋いでいます。
働いて自分の力で生きて行こうと行動を起こしていません。
それでも生きていけるからいいのかもしれない。
お金を出しているのは親なのだから。
僕が彼にとやかく言う権利なんてありません。
ほんとうにこれでいいのか?
そんなことを思ってしまいます。
友人は、引きこもりをしているため、外には出ません。
その為、交友関係も地元の友達で止まっています。
上京先には彼と連絡を取ってくれる親しい友人もいません。
日々、目的もなく熱を注げるものもなくご飯を食べて寝る。
そんな生活をもう7年ほど続けています。
気付けばもう30歳になる年齢です。
ここまでくると色々と挑戦出来る事も狭まってきてしまいます。
やる気があればカバーできることだってあります。
だけど、友人にはそのやる気がありません。
こんな友人の姿は世間から見ると「終わっている人」という烙印を押されるのだろうか。
これは自分のエゴかもしれません。
一度は見捨ててしまったけど、僕はこのまま彼のことを見捨ててしまっていいのか。
■引きこもりの友人を飲みに連れ出した時に起きた出来事
仕事について、友人にはとやかくは言わないが、それでもたまに来てくれる友人と一緒にご飯に行ったりすることがあります。
ほんとうに大きなお世話かもしれないが、引きこもりの彼の為を思い「たまには外に出よう」ということで地元の友人たちと一緒に彼を飲みに連れ出した。
その頃は、引きこもりが原因かは不明ですが、不眠症にもなっており薬を服用しているとの事だった。
本人はお酒は飲まないと言っていたので、僕たちも一滴もお酒を飲まさずに自分達の近況報告などして盛り上がっていました。
ただ、やはり外に出ていない彼としては近況を言えず、僕たちも昔話をして盛り上がるという気を使う場面もいくつかあった。
お金に余裕がない事は知っていたので、お金は僕たちが持つので気にせず好きにつまんで頼んでくれという状況。
正直配慮が足りていないと後になって思った。
一度お店を出て、二軒目は女性と喋れる場所がいいねと話し合いで決め、相席居酒屋に行くことになりました。
そこで大きな問題が起きました。
女性が来る前に彼が”てんかん”を発症して倒れてしまった。
この時、彼の心は僕たちが思っているほどボロボロだったのだと知りました。
”てんかん”がきっかけでさらに離れていった旧友
”てんかん”を起こしてしまったことで、付き合い方を変えなければいけないと感じ、彼からさらに離れてしまう人がいました。
自分達が連れて行ってしまったせいで引き起こした出来事なのに・・・
僕自身もその出来事の影響もあり、どこかに一緒に行こうという事は無くなりました。
僕が思っている以上に、外の世界はストレスになっているのかもしれないと感じるからだ。
もしもこのブログを友人が読んだとしたら、全然違う解釈になっていると思うかもしれない。
しかし、僕が抱いている気持ちを記事にしていることを理解してほしい。
以前の彼とは違い、今の彼との関わり方が難しく、僕自身どうすればいいのか分からないという気持ちを。
■さいごに
ここまで彼に思っていた気持ちと僕がしてきたお節介について書いてきました。
僕が知る限り、彼を知る友人はみんなはこう言います。
「いい大人だろ?もう見捨てろよ」
「結局他人だしほっとけよ。」
「今更変わるなんて無理だろ」
正直、世間一般な意見でも大半の人は同じ意見だろう。
ですが、友人としてこのまま人間として生きている以上、バッドエンドで終わってほしくないです。
人間が決めた幸せ
人生の在り方
働くことが人として当たりまえ
大人になったら自己責任
人間なら、日本で生活していればこれが当たり前。
これ以外の姿は見下され笑われます。
負け犬
敗者
恥さらし
生きる価値なし
ホームレス
ゴミ
社会不適合者
そんな目で見られてしまいます。
僕だってその気持ちは分かります。
でも・・・
もっと彼の気持ちに傾聴してあげるべきだとも思います。
僕らが普段、生活している基準でしか測れない感情では、もう分かち合うことは出来ないところまで彼は来ています。
だから気合だとか根性とか常識とかそんな言葉は要らないです。
彼と会話する時には不要な言葉です。
人間社会のルールでしか人の在り方を尊重出来ない・認められないこの世界。
本当の幸せとはなんなのだろうか?
今後も余計なお節介かもしれないが、僕は彼に声を掛けようと思います。
また、個人的に大好きで心に響く曲があるので載せておきます。
辛い事ばかりだけど、この世界で一緒に戦いたいです。
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