さゆり、心の旅①酒よ
大学に入学してからというもの、新入生歓迎会やらサークルやら、酒を飲み交わすということが私の人生に鮮やかに現れました。
忘れもしない、はじめて飲み会の場で注がれたビールを飲んだときのこと。
「何これ、ただの苦いシュワシュワやん」
そう、たいして美味しいとも思わなかったものの、まじめな顔した先輩から「グラスとビール瓶を交互に見てみ。ぼやけてるかどうか、それが酔うてるかどうかのサインや」と、真剣な口調で教わりました。
私はその教えを忠実に守り、淡々と飲んでは、グラスとビール瓶を交互に見続け、いくら見つめてもぼやけないので、ビールをおかわりし続け、やがてトイレが近くなったことを告げました。
ニコニコ赤ら顔の先輩に「自分、強いな〜」と言われたとき、私は、「ほほう。このまま飲むとどうなるのだ?」という、いらぬ探求心が芽生えたことを覚えています。
(今までどれくらい乾杯しただろう?)
私は、夜間大学に通っていたので、授業〜サークル〜飲み会という流れにおのずとハマってゆきました。(全員ではありません)
夜間大学ですから、21時に授業が終わってサークルなんかして、23時頃から飲んでいるとあっという間に終電なんてなくなるわけです。そうすると、終電がなくなる→朝まで飲むしかなくなる→翌朝のバイトに支障が出る→休みが目立つ→クビになる!わけです。(全員ではありません)
たちまち、私は飲み会中心のやさぐれた生活へとのめり込んでいきました。
トレンディドラマで育った田舎者の私は、都会では年頃になると、バーのカウンターであちらの方からカクテルが運ばれ、もれなく自動的に大人の恋がはじまるものだと信じてやみませんでした。ところがどっこい、何歳になっても、そんなトレンディな波は押し寄せる気配すら見せません。それどころか、お酒という荒波をどっぷり呑んでは、呑み込まれてばかりでした。そんな、お酒の失敗談は数え切れないほどあります。
(こういうカクテルがあちらのお客様から運ばれてくると信じていた)
たとえば・・・
夜明けまで飲みすぎて酔いつぶれた私は、朝、駅前のコンビニ脇に横たわっていました。もう少しだけ、あともう少しだけ・・・と泥のように重い身体を横たえ、ふと薄目をあけて見えたのは、颯爽と闊歩する出勤通学のみなさま方の靴でした。コツコツと爽やかな靴音がこだまするなか、まばゆい光に照らされ、独りどんよりと横たわる私。はたから見ると、いつもの朝の光景はどんなにか謎めいて、不審に満ちていたことでしょう。あの日のまぶしい朝陽のせつなさを忘れたことはありません。
はたまた・・・
酒好きの私としては、飲み放題とハッピーアワーは歓喜の象徴であり、同時に危険な香りをはらんでいます。ハードロックカフェで、とあるバンドのライブ前にハッピーアワーだったときのこと。有頂天になった私はハッピー全開!案の定飲みすぎてしまい、あろうことかライブ中ずっと寝てしまいました。大きな拍手と大喝采に目をあけると、すでにアーティストが手を振って去るところでした。今までで最も短いライブだったことは言うまでもありません。
さらに・・・
よく通っていたライブバーでは、大好きな音楽と酒をたんまり味わい、それはそれはいい気分で帰っていました。当時は自転車に乗って帰っていたのですが(ぜったいダメ)、角にあった交番を曲がるときに、毎度どうしても豪快に転倒していました。
すかさず優しいお巡りさんが出てきてくれ、「大丈夫ですか?おケガはありませんか?」と助けてくれたり、散らばった荷物を拾ってくれたりしました。しかし、毎週夜3回も4回も交番前で転ぶうちに、とうとう職務質問を受けてしまったのです。もう働いていたので、しぶしぶ「小学校の先生です」と言ったときのお巡りさんの困惑顔、そして私からあふれ出る申し訳なさと酒臭さを忘れることはありません。
(やさぐれ時代の私。ナッツの食べ方もやさぐれている)
記憶がぶっとびー!なんてことはよくありましたが、トレンディドラマでありがちな、目が覚めると裸でシーツに包まっていて、「は!ここはどこ?まさか!?」「おはよう♡」みたいな、意中の彼とのドラマチックな展開は、どういうわけか一度たりとも訪れませんでした。
でも、気のおけない仲間と飲んで歌って踊って語り明かしたり、緊張が解けて意気投合したり、往年のミュージシャンと高架下の焼き鳥屋で隣り合わせたり、お酒を飲んでいたからこその出逢いや想い出も山ほどあります。
お酒は心をゆるませて楽しい気分にしてくれる。
私にとって『乾杯』は、最高に幸せな瞬間!
お酒よ、ありがとう。
そして一緒に飲んで、私を解放、介抱してくれたみんな、ありがとう。