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ありがとうが足りない

市の清掃センターへ、ゴミ捨てに行った。
空き缶やペットボトル、瓶、ダンボール、そして不燃物。
地区ごとに行っている不燃物回収の日に持っていってもいいのだけど、大量に持っていきたいし、その方が手っ取り早いからと清掃センターへ持っていくことが多い。というか殆どそう。

そうして今日持っていった不燃物の中に、ガス抜きをしていないスプレー缶が紛れていた。フマキラー。殺虫剤である。
対応してくれた白髪のおじさんがそれを見つけて言う。

「これは…穴は開いとらんですよね?」
「あっ、はい…そうですね」
「あー…うん、まぁ、うん、いいか」
「いいですか…すみません…」

そうしてスプレー缶を受け取ってくれた。ああ、申し訳ないなぁと思っていると、おじさんがぼそぼそと何か言っている。ゴミを処理するための様々な機器がごうごうと音を立てているので聞き取れなかった。はい?と聞き返すと、おじさんは苦笑いしながら言う。

「ほんとはね、穴が開いてないのは持って帰ってもらわんばとですよ」
「えっ!ああ、すいません。じゃあ持って帰りますね」
「いやいや、よかです、よかです」
「えっ、いいですか…すみません、ありがとうございます」

その二回目の会話に妙な違和感を感じていたのだけど、帰りの車内で気づいた。おそらく「ありがとう」が足りなかったのだ。

すみません、と言ってしまう癖が我々日本人にはついている。
何かをしてもらったとき、ご配慮を頂いたとき、それが恐縮で申し訳ないから「すみません」と言う。
でも本当に伝えなくてはいけない気持ちは「ありがとう」という感謝の言葉のはずなのだ。ほんとはその言葉だけで成立するはずのコミュニケーションが、少し湾曲しているな、と身を持って感じた。
何かプレゼントなんかを貰う時に一度「いやいやそんな駄目ですよ」と断るのが良しとされてるとか、そういうの。形式美とでも言うのかな。それが歳を取る度にどんどん当たり前の感覚になっていってしまっている。そうしなきゃ駄目とまで思う。それが日本人らしくていいじゃない、と。

こんなふうにして、若い世代と話が噛み合わないようなジジイになって、頭もどんどん固くなっていくのかなと思うとゾッとした。

そんなことを、白髪のおじさんから教えてもらうとは。

ありがとう、とちゃんと言える人になろう。
すみません、はそのあとでいいのだ。

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