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日々を捲って来た。

去年の年始はどうしていただろうとぼんやり考えていた。

年越しは、家族で過ごした。もちろん父も居て(今思えば一緒に年越し出来たことはほんとに良かったな)、父はAbemaTVで放送されていた朝青龍が色んな格闘家らと相撲をとるという番組を自分のiPhoneで観ながら、ちびちびとお酒を飲んでいた気がする。

そうして迎えた2018年の1月、2月は怒涛の日々だった。
父が居なくなるかもしれないということが頭を何度も何度も過ぎっていたけれど、想像すると現実になりそうで怖くて、何もかもが良くなる未来をいつも想像していた。傍から見たら現実逃避のような、バカみたいな想像だったけど。

そんなんで、去年は父の事で頭がいっぱいだったなぁ。
冬の寒い日に病院へ行って背中をさすったりしていたあの日々は、今までの人生の中でも戻りたくない瞬間のひとつだ。今思い出しても胸が少し苦しくなって鼻の奥がツンとする。

だから、年始をどう過ごしたか、なんてのはあまり記憶に無い。僕の意識は、あまり浮世にいなかったのかもしれないな。

今でもたまに父の夢を観るのだけど、だいたいいつも、あの病院にいた頃の、しんどそうな父の姿ばかりで悲しい。そろそろ元気モリモリな姿を見たいのだけど。

父が居なくなってから初めての春、夏、秋、冬。そして年末年始を迎えた。
あの酷い猛暑も、あっという間に通り過ぎた秋も、今この瞬間の冬の日も、何もかもが例年とは違った意味合いで僕に届いた。
美しく光る太陽や、キラキラと瞬く星々や、頬を撫でるその季節その季節の風や、理不尽に降り始める大雨なんかに、何かしらの意味とか価値を見出すように、日々を捲って来たんだ。

そうして迎えた2019年。
こうしてのんびりとソファに横たわりながらスマホで文章をぽちぽちと綴れるくらいな精神状態になる事が出来た。余裕が出来たという事だろう。
父が居なくなって、気を紛らわす為にはじめたこのnoteだったけど、100日連続投稿とか、やれて良かったな。
形にしたいと思っていた音楽のアルバムも作ることが出来たし、悪いことばかりでは無かったよ。2018年は。

そう思えるのも、noteにてリアクション頂けた事とか、そういう人との繋がりを(例えネット上のそれだったとしても)感じられたからだと思う。支えになりました。

今年は、意識的に前を向いていようと思う。後ろはたまにチラチラ振り返るくらいでいいな、とか。

やりかけのものが色々あるので、ひとつずつまた形にして届けられたらいいな。

そんな感じで。
昨年は大変お世話になりました。
今年もどうそ、よろしくお願いします。

喪中だから、こういうのも言わない方が良いのかな。笑

#日記 #雑記

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