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いつかは必ず死んでしまうんだな。

中学三年とかそのへんの頃、森田一義…つまりタモリさんが大好きであった(今でも好きだけど)。
ふざけるときはとことん…ほんとに"とことん"ふざけられ、でも時にはアカデミックな話題にも対応出来る。そして電車をはじめ、多趣味であり博学。まるでタモリさんという人間の中に図書館がまるごと入ってるような、そんな圧倒的なものを感じたのだ。
今はなき「笑っていいとも」を、風邪をひいて学校を休んだ日のお昼にまどろみながら観るのが至高の時間であったし、家族が寝静まったくらいの時間に、ひっそり自室で観る「タモリ倶楽部」も好きだった。(「トリビアの泉」も深夜時代からよく観ていたし、「ジャパニカロゴス」という番組がとても好きだったな)

そんなある日、ふと一抹の不安が胸を締め付けた。
「こんなに大好きなタモリさんも、いつかは必ず死んでしまうんだな」
なんていう、今思えばなんとも間抜けな、それを言っちゃあおしまいよ、という身も蓋もないような事だ。
だけど、なんだかそんな当たり前の事が無性に寂しくて、切なくなってしまったのだ。

そんな僕の一方的な不安を他所に、タモリさんは今でも現役で活躍しておられるから、あの頃の自分には「そんなこと考えんでよろしい」と伝えてあげたい。
終わるはずがないと思っていた「笑っていいとも」は終わってしまったけれどね。

先日、「人志松本のすべらない話」が放送された。前回の放送から一年ぶりの放送であった。もっと定期的に放送してた気がするから、年一になったのは少し寂しい。

今回のすべらない話における個人的な重要ポイントは、「レギュラー陣の名前がサイコロに無い」というところだった。
松本人志、千原ジュニア、宮川大輔、小藪一豊の名前はサイコロに無く、星目(★)が出ると、レギュラー陣が話す、というルールに変更されていたのだ。

もちろんこの番組の性質上、芸人として付け焼き刃の適当な話なんて出来ないし、そこそこの回数を重ねているからネタ切れになってしまうのも分かる(とはいえあのレギュラー陣だから、ネタは切れてないと思うけど)。
だから今回はもっと多くの芸人の話に、そして新しいスターの誕生にフォーカスを当てたのだと思う。

僕の中で松本人志という芸人はトップランナーであった(過去形であることに意味は無い)。
もはや「好き」とかそういうものでは括れなくて、崇拝だとか、そういうある種宗教めいたものを彼に見出していた。
それが、今回の「すべらない話」でもそうだし、数年前から定期的に放送されている「IPPONグランプリ」、そしてAmazonプライムで人気の「ドキュメンタル」なんかでも「チェアマン」の位置に行ってしまった。
自らがファイティングポーズを取るのではなく、ジャッジマン…およびチェアマンになることは彼が成してきた偉業を考えれば当然のことだし、実際、彼が下すお笑いへの評価は何にも代えがたいものであるから、そこに不満があるわけではないのだけど。

ただ、すこし寂しくなってしまうのだ。
「一人ごっつ」でマネキンとコントをしていたような、あんな攻めた姿勢の松本人志を、おそらくもう観られないのだろうな、と。

年齢を重ねるというのは時に残酷で、無慈悲だ。
当たり前に出来ていたことが出来なくなるし、やりたいことは多いのに身動きが取りづらく、諦めることが増える。そんな日々の連続である。
それでも、と、重たい荷物を背負い、歯を食いしばってギリギリのところで戦っている。そしてそれは誰に話しても伝えることはきっと出来ない。

テレビの中の人も、自分と同じ人である。
どれだけ有名になっても、お金があっても、きっと迷って迷って苦悩を続ける地獄のような毎日がそこにあるのだろう。
そう思うと、ちょっと何かで聞きかじったような知識でまるで全てをわかってるような事は言えないし、また言ってはいけないのだろう。

僕らに出来ることは、いまそこにあるものを一生懸命愛すことなのだろうな。
いつかはどうせ、みんな灰になる。それは、突然でとても早すぎる時もあるけれど、それさえきちんと理解できていたのなら、ある日突然告げられる別れに、寂しさよりも先に感謝を伝えられたりするのかな。

なんてことを、昨今の芸能界引退だとかそういうニュースを見ていて、思ったのでありました。

#日記 #雑記

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