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回想花火

長崎県という地域では、お盆の際、お墓の周りで花火をする(長崎県のすべての地域では無いかもだけど)。

僕の先祖のお墓は五島列島にあるため、子供の頃からお盆の間は五島で過ごすことが多かった。
そんなある夏の日。
僕は例年通り、姉や従兄弟らと墓場で花火をしていた。大人達は僕らのことを遠目から見守り、大人らしい会話をして盛り上がっているようだった。
祖父母から貰った「花火代」という名のお小遣いから好きな花火を買い、各々見せびらかしながら炸裂する音や光に目を輝かせる。
そうしてケラケラと笑い声をあげながら、さも自分こそが世界の中心にいると言わんばかりの笑顔でいる僕の指に突然、痛烈な刺激が走った。

火傷だった。
僕は花火に没頭するあまり危機管理能力がゼロになり、花火というものが熱い炎であることを忘れていたのだろう。
火傷を体験したことがある人なら分かると思うが、あれは我慢が出来るものでは無い。今すぐにどうにかしてくれと身体中の細胞が悲鳴を上げる。切り傷や擦り傷なんかは比では無いのだ。
大人になってから、半田ごてを指に当ててしまって負った火傷の時も軽くパニックになる程の痛さだった。
そう、火傷は痛い。大人でもそうなのだから、子供に我慢が出来るはずが無い。

僕は泣きべそをかきながら屯している大人達の元へ行く。大人達はあらあら良いネタが歩いてきたぞと言うふうにゲラゲラと笑いながら僕を見ている。いや笑うな、こちとら気が狂うほどの火傷を負っておるんじゃ!!とは恥ずかしくて言えない。かわりに涙がぽろぽろこぼれる。

そんな僕を見かねた父が、お墓にある水入れに溜めてある、ぬる~い水に僕の指を突っ込む。
ぬるいとはいえ、みるみる痛みが引いていく。もう大丈夫かなと思い水から指を出すとすぐに痛みが戻ってくる。地獄。
僕はその後、日が暮れて提灯のロウソクが消えるまで、泣きながらそのぬるい水に指を突っ込んでは出し、突っ込んでは出し、としていた。
この話は母や姉に今でも言われて笑われる、僕の失態のひとつだ。

そんな夏の日から20年近く経った今年のお盆。
まだまだずーっと先の事だと思っていた、父の初盆がやってきた。
家族である我々が地元に居る以上、五島へは行かず、地元でとりおこなう事にした。

そして夜、ささやかながら花火をした。
僕は危機管理能力を失うほど花火に没頭する事が出来なくなってしまったから、ほんとうにささやかな花火だった。
久しぶりに行う花火は、とても短くてこじんまりとした印象を持った。実際、20年前の花火よりもきっと、火薬の量なんかが減っているのだろう。子どもの頃によく食べていた多くの駄菓子が知らぬ間に量を減らしている事を知った時のような、やるせなさを感じた。

あの頃に戻りたいとか、そういう事はあまり思わない方だけど、無邪気に火傷の痛みを泣いて父に訴える事が出来たあの夏を、少し羨ましく思う。

もっとこうしていれば良かったなぁと思う事が色々とある。どれももう叶わないけど、思わずにはいられない。

帰ってきてくれてるかなぁ。
それともずっと近くに居てくれたのかなぁ。

もう一度会って話が出来るなら、地獄だと思えた火傷をしてもいいな。あっついけど。

#日記 #エッセイ

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