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さよなら、僕のミニディスク。

昔はなんにでも、好奇心が赴くままに色々なコンテンツを貪っていたように思う。ネット界隈に蔓延るくだらない情報やステマにさえ。
一番思うのはやはり音楽で、高校生の頃なんてのは、気になったバンドがあれば学校の帰り道にあるTSUTAYAに制服のまま立ち寄り、なけなしのお小遣いから(お小遣いなんてのはほぼほぼ無かったけどw)捻出し、5枚パックレンタルを酷使し、帰宅するとすぐにMDに取り込む作業に勤しんでいた。
それから時代はすぐにハードディスクの時代になったから、MDなんてのをガンガン使っていたのは正味3年間くらいなのだけど、結果、200枚超くらいのMDが捨てられないまま僕の部屋にはずっと保管されていた。

この度の引っ越しで、ついにそれを処分することにした。
最早プレーヤーも無いし、かといってわざわざプレーヤーを買うほどでもない。カセットテープにはアナログの音質という付加価値があっても、MDにはコンパクトであること以上にはもう価値が無いだろう。
平成も終わりに向かっている。音楽は媒体からデータへ移行してサブスクリプションが栄えて来ている時代。
残念だけれど、もうすっかりお役御免になってしまったのだ。

改めてその保管されたMDを眺めてみると面白いもので、ラベルにきちんとバンド名、アルバム名を書き、パッケージの裏には曲名をびっしり書いてるものもあった。我ながら几帳面だなぁと思いつつ、当時は例えばスマートフォンなんていういつまでも時間を潰せるような面白いものも無かったから、そうすることが楽しかったのだと思う。学生だったし。暇つぶしにもなるし。

そうして12,3年前の自分がちまちまと録音してはラベルを書き書きしていた大量のMDをゴミ袋に入れた。
不思議と寂しさは無かった。そこにある音楽たちはMDを使わなくなってからこれまでの間にCDを買い直したりしていたし、それこそサブスクリプションにてあらかた揃ってしまうからだろう。

とはいえ、物を捨てるということは、過去の自分との別れのひとつである。
当時確かにそこにいた自分の残像を、湖の底に沈めるように記憶からデリートしていくような。
これからずっと先、遠い未来に、あのMDらの事を思い出すことはもちろんあるとは思うけれど、目で見て、触れる物質はもう無い。片付けてる最中に見つけて当時のことを思い出す、なんてことも無くなるのだろう。

これからの時代は、そうやってデジタル化されていくコンテンツがもっともっと増えていく。映像や書籍なんかは既にそうなって来ているし。
ただ、そうして手に触れて、質感を確かめられる"モノ"が消えていくという圧倒的な時代の流れの中で、「それでも」と手元に残したモノの大切さ、「もういいか」と手放したモノへの愛情に気付かされた、そんな引っ越しであったのだった。
どんなに時代がデジタルに移行したとしても、手元に残したいと思えるものがあることは幸せだなと思ったのだ。

さよなら、僕のミニディスク。

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