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30年前の少年院(11)


どえらい風邪をひいてました
というかまだひいてます
コロナでもインフルでもなかったのですが気管支が弱いのでこじらせるとだめですね
肺炎ではないけどCTやら血液検査やら色々しました

ということで11回です
案外続いてます
思い出せる事も減る一方なのでちょっと焦ってるのかもしれません
そんな50代です


今回は行事について書きたいなーと思います
よくドキュメンタリーやYouTubeなどで芸能人が慰問に行ったことなどやってますね
通常の学生生活送れなかった子、送らなかった子、送ってきた子、それぞれがいます
社会と隔離された中でも社会と断絶する事がないようになのか、行事は割と多いです

個人的には行事は割と参加してきた方ですが、それでもやはり楽しかったですね
全ての行事の記憶はないし断片的な部分もありますが、楽しかったなという記憶はあります

地域には更正保護婦人会というものが当時ありました


誕生日にもらったカード


↑これを作るという日もありました
婆ちゃんに送った気がします


常に何かをしてくれるわけではないけど、見守ってるよというメッセージは感じます
夏になると盆踊りがあり、更正保護婦人会の人達が訪れて浴衣を着せてくれたり一緒に盆踊りに参加したりします
みんながそれをどう思っていたかわからないけど、当時の自分の気持ちを思い返してみると心底信用して甘えるようなことはないけど、関わりが薄い分無害の大人という認識でいました

保護観察を受けた事のある人ならわかると思います
いい保護司もいれば嫌な保護司もいて、それはどこの社会も同じ
婦人会にもきっといい人も嫌な人もいます
でもそれを感じるほどの交流などはなく、ただ優しくされるだけの程よい距離はそこまで嫌ではなかったです

作った農作物を売る即売会みたいなものもありました
これは確か結構人気で地域の人が訪れていたと思います

他にも運動会やクリスマスなどの季節行事、どれもが誰かと交流があるものではないけど少し食事メニューが違ったりするだけでも小さなイベントで楽しいものです

日頃は麦飯なのが銀シャリになる日はみんな楽しみでした
以前もどこかで書いたけど当時は米不足なので米もタイ米とのブレンド米、そこに麦だったので余計かもしれません

何かを作る事や協力して達成するなど、社会にいた時にはできなかった経験も多いので更正の為とはいえ思い出深くなってしまうものです

運動会や体育祭を「だりー」と言って参加して来なかった子達もこれしかなくなると一生懸命やったりするものです

自衛隊からの慰問コンサートや、誰かの講義?話を聞いたり歌手が来たりと外部の人が訪れる事も結構ありました


隔離されている中なのでもちろん色々な問題は起こります
でも発散できる場も用意されているということです
最上級生(1上)になると退院が間近なのもあり、外に出る事もあります
選ばれた子は市役所の草むしりなどに何人かが行く事も当時はありました
今もあるかはわかりませんが



他に、これは行事といえるものではないけど日曜日に映画を鑑賞する日がありました
その日はお茶とエビせん(かっぱえびせんではなく丸い煎餅にエビが練り込まれてるようなやつ)が出ます
ひな祭りなどにはケーキの時もありました
観る映画は最新とは程遠いものです
名作と言われている古い映画ですね
例えば
風と共に去りぬ
ローマの休日
愛と青春の旅だち
そんな感じです
それより少し新しいのもあったし、記憶にはないけどアニメ映画とかもあったかもしれません

社会にいたままだったら一生観なかったかもしれないものだから観られて良かったです
特に何かの役に立つわけではないですが

どの映画を流すかも制約があるのかもしれないですね
犯罪に関わるものや、極妻みたいなものなどは省かれるかもしれません
なのでどうしてもヒューマンドラマに寄ってたような気がします

もちろん犯罪を犯した事で収容されてるので面倒な事ややりたくないことも多々やらなくてはいけません
それでもわたしはこの寮生活が気に入っていたし、ストレスも殆どありませんでした
ずっといてもいいな、くらいに気に入っていました
それじゃダメなのはわかってるしシャバがいいのはわかっていますが、その時は本当にそう思っていました
みんなと仲良くできたからも大きいかもしれません

さて、次回は何を書こうかな


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