当時は少女A

半世紀を生きたとこで振り返る 30年以上前の少年院時代、昭和の子供時代 その全てが今に…

当時は少女A

半世紀を生きたとこで振り返る 30年以上前の少年院時代、昭和の子供時代 その全てが今に繋がっている

マガジン

  • その後から今まで

    ここはもう雑多なまとめです

  • 30年前の少年院

    少年院やそれに纏わる色々なことは全てここに収納します 子供の非行に悩む親御さん、昔の非行に興味がある、どんな人でも歓迎します 内容的に有料記事も含まれています

  • 思春期

    恋愛、非行、考えていたこと、していたこと 思春期のあれこれ

  • 子供時代

    昭和の子供ってこんな感じ!というのから、色んな体験も書いてます

  • 幼少期

    家庭の事、考えていたこと、していた遊び 体験した色々を収納しています

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このnoteについて

当時は少女Aです 変な名前ですね 軽く後悔しています笑 家族がいるので身バレ避けたい気持ちもあり、そしてちゃんと変な人だというのがわかるようにこんな名前になりました 他のSNSでは匿名ではあるけど割と身バレしても平気な感じでやってます でもここはできればしたくないです 正直言うと自分は構わない部分あるのですが、子供もいれば夫やその家族もいるので煩わしい思いはさせたくないです と、前置きしたのは今後写真などを使う事があるからです 顔は加工する前提だし下手するとモザイクだら

    • 本当のところ

      このnoteを始めるにあたり、少し盛ってでも面白く書くようにアドバイスをされました でも真実は真実、感情はその時の感情としてなるべく偽りなく書きたかったのでそのアドバイスをまるっと無視して淡々と書いています なのでその人には見せてません笑 記憶違いがどこかにあるかもしれないし(なんせ30年前なので)書いてて当時の幼稚さを思い知らされたりもしています そしてここではまだ今の自分を全然出していなくて、かなりふざけた人間でもあります 更に言うと50歳にもなってまだ知らない事だら

      • 30年前の少年院(10)

        前回、事件の内容をざっと書きました 詳細省いた部分も多々ありますが、今書いてもいいと思うのはあれだけです そして少年院に話を戻します 朝はスピーカーが入る音で一斉に飛び起きて布団をしまい、点呼を待つ事から1日が始まります それぞれの部屋には室長がいて、部屋の代表として点呼をします そういえば学校に通っていた時代にはなかった気がするけど、整列しての点呼の時にケツかマンと最後に申告するというルールがありました 例えば2列に並んでいたら、最後尾が1人ならケツ、2人いたらマンです

        • 30年前の少年院(9)

          前回どこまで書いたかなーと思ったけど読み返していません 確かひとつめの事件に触れてたと思います そして今回はふたつめの事件について書きます 少年院の中の事もまだまだ書くし他にも書きたいことあるのですが、あの時に考えていたことは本当に人としてどうかと思うけど当時はもうそういう感覚は麻痺状態で罪悪感などは皆無でした 逮捕理由は避けられないかなとも思うので書くことにしました 長いけど、1部端折っています 被害届は30人

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        記事

          サボってるわけではないのです

          ちょっと停滞してました 書いていいものかと文章考えては寝落ちしての繰り返しです笑 ブレイキングダウンなどの流れと友達に勧められるままに書き始め、そこからの流れで当時の週刊誌を入手しました 載ってたのは知っていたけど初めて記事を読み、 あー、書いてある事と現実は微妙に違うなー それとも記憶が30年以上前だから違うのかなー いや、やっぱり違うな 微々たるもので読み手からは大差ないかもだけどそうじゃないんだよなーという気持ちや まぁ内容が内容なので葛藤があったり そんな感じ

          サボってるわけではないのです

          30年前の少年院(8)

          個別にお礼メッセージなどは送っていませんが購入して頂いてる人、ありがとうございます 期待に添えるかはわからないけど思い出せる限り正直に書いていくのでよろしくお願いします 今回は事件の詳細に触れるので不快になる表現もたくさんあると思います 前にも書いた様にぼかして書いている部分もあるのでそこはご了承ください あと、びっくりするほど長文になってしまいました 1992年 わたしは少し前から歌舞伎町に住み着くようになっていました 今で言うトー横がまだコマ劇前広場だった頃です 明け

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          30年前の少年院(8)

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          30年前の少年院(7)

          今回は夏の事情についてです 当時まだ木造の寮でした わたしが退院する頃には敷地内で工事をしていて、翌年くらいからは新しい寮ができるようでした トイレも洋式の水洗になるんだという話だったのでそれは少し羨ましかったです でも掃除などでそれはそれで不快な事もあったかもしれないなと今は想像します 当時は汲み取りだったのでそれよりはましかもしれません そして今回は夏の事情ということで前の記事に出てきた歯磨き粉が活躍します 自衛隊との交流 少年院では自傷というものも処罰対象です そ

          30年前の少年院(7)

          あの頃に読んでいた本

          鑑別所では本を読めたので個室だったのもあってたくさん読みました 持って帰れるノートが支給されていたのでメモしてありました 30年前なので今はどんな本だったのかはわかりません 灰谷健次郎は大好きで太陽の子は社会に出てからも買って繰り返し読みました ビリーミリガンやアルジャーノンも好きで買い直しました ○と△は多分個人的な評価だと思います ちゃんと詳しく書いておいて欲しかったと昔の自分に言いたい… 少年院でもかなりの数の本を読み、今でも面白かったなと覚えているのは ドストエフス

          あの頃に読んでいた本

          あの時あの場所で

          小学生時代に寮で生活していたのは以前の記事で軽く触れました その時のことを少し 施設などではなく、全寮制の小学校です わたしはそこで5,6年生を過ごしました 今は特別支援学校になったようですが、当時は健康学園とか養護学校などの名前で色んな自治体にありました 主に、喘息、肥満、偏食、虚弱の子を受け入れて健康的な環境と生活を与えられる場所です まぁ、表向きは… もちろん本当に持病が辛かったであろう子もいます それは大前提です 入学するにあたり、健康診断のようなものもありまし

          あの時あの場所で

          30年前の少年院(6)

          30年前の事なので今とは違うこと、記憶に多少の違いがあるかもしれないこと、踏まえた上で読んでもらえたら嬉しいです 有料記事と無料記事を別々のマガジンに纏めていたんですが、どっちで書いたかわからなくなりそうなのでひとつに纏めました タイトルの番号が変更になっていますが、内容は変わっていません 今回から少年院内の事になります そして少し内容が内容なのでいつもより金額が高いです お気をつけください 立って半畳寝て一畳

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          30年前の少年院(6)

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          異常も毎日起きれば日常になる

          罪名や内容は表立って書いていません 被害者の目に留まる可能性もゼロではないことが一番の理由です 次に、普通に不快になる事も書いてあったりします あの当時、あの場所で生きていたからこその体験がいくつもあって それは決して人生に必要なものではなかったこと なのにその体験をしたのが自分だけと言えるほど珍しくもなく世の中に溢れていたこと 踏み外すのは簡単で、それは自分や自分の子供には無関係ではないこと そんな事を知って欲しくて書いています 罪名等は有料記事に畳んですみません (こ

          異常も毎日起きれば日常になる

          30年前の少年院

          タイトルが統一してないのは忘れるからです でもそろそろヘッダー画像を毎回借りるのも探すのもなので固定したいなーとぼんやり思っていたりしてます タイトルも統一した方が関連記事を探しやすいだろうと思ってはいて、 現在の少年院の事を知りたい人がここに辿り着いて そんな昔の事を知りたいんじゃねーっての!と憤慨しなくて済むようにしたいです そしてこのnoteは少年院はもちろんだけど、そこに繋がった事やその先の事も書けたらいいなとも考えていて まずは継続 そう、自分の中ではここが大問

          30年前の少年院

          もういっちょ

          天使の梯子がこれだけあると大群で降りてきそう

          夏の一コマ

          このベビーバス、長いこと家にありました 水遊びではなくお風呂です笑

          少年院(余談)

          逮捕当時、世の中は米不足と騒いでいました タイ米を混ぜたりしていたようです そんな最中だったので鑑別所と少年院も米不足 当時の鑑別所は米と麦の割合が7:3 でも米不足の為6:4になってたようです 誰に聞いたか忘れたけど そしてそこにタイ米 真っ黒でパサパサのお米のイメージです わかめって透明になるの?というくらいに煮込まれたドロドロの味噌汁、納豆、卵 そんな感じの食事で少し痩せました笑 納豆も卵も嫌いだったので余計ですね 少年院の米と麦の割合は8:2 これは確かそのままで

          30年前の少年院(5)

          審判の日 逮捕された未成年は留置所の次は鑑別所に行きます 一旦全裸にされてお股も確認されて何も持ち込めない状態で生活が始まります その後、審判を受けて処分が決まります でも鑑別所はまだ処分が決まってない子達なので割と自由です(個室だったけど) ラジオが流れ、テレビも好きな番組が観られます いつもではないけどテレビの時間は社会と繋がる手段 だけど何故か競馬と、できたばかりのJリーグばかり観てました てことは日曜日だったのかな ノートを渡されているので落書きしたり好きな歌詞書い

          30年前の少年院(5)